クソ!この野郎!クソッタレ! 最悪だ クソッ、チクショウ 女性がこんな言葉を言うなんて 美しくありませんよね どんな親も娘にはこう言います 「こんな言葉を女の子は言ってはいけない 汚い言葉だ」 そうかも でも私は 逆に こうした汚い言葉 「男性の言葉」が女性の口から出てくることが 大切だと思っています 最初の女性精神科医 マドレーヌ・ペルティエは1905年に 確かこう言いました 引用します 「女性の隷属を無くしていくためには 媚、慎み深さ、過剰な羞恥心 心と言葉の子供っぽさを 無くす必要があります もうこんな言葉は聞きたくありません 「女性はそんなことをしない!」 お行儀良く座らなければならなくても そんな事は女性であることとは 何の関係もありません ただ行儀が良いだけです 声を荒げないのは 私達が女性だからではなく 私達は叫んでも聞き入れてもらえないからです 私はもう父親が 息子が女性を傷つける場合は笑い流すのに 娘を痛めつける 男の首をはねてやるなどと言うのを 二度と聞きたくありません 母親が泣いている息子に 静かに「男なら女の子のように 泣かないでしょう?」 と言うのをもう二度と聞きたくありません 何故それがいけないんです? 女性に女性らしくしなさいと 強いるのを止めましょう 少女達をジェンダー・ステレオタイプに 押し込めるのを止めなければなりません それは何故かというと 少女たちに選択肢を持たせるためです 開放される選択肢を 女性らしさや 優しさ 物腰の柔らかさ 他者への気遣い 誘惑 母性を求めなくても それから おてんば娘は 往々にして上手く出来上がった女性です 私はイスラム革命の時に テヘランで生まれました 私は無神論者の家庭で育ったので幸運でした ホメイニ革命の後 女性はベールを被らなければ ならなくなりました そして それは少女たちも同じでした 今でも覚えていますが 初めて真っ黒のベールを被って 学校に行った日 私は6才で ベールを被るのは嫌でした 私は泣き叫び ベールを踏みにじりました それでも無駄でした ついに私の取った最後の抗議の手段は お尻を見せることでした ええ 毎日 鐘が鳴った後 ベールと制服を脱いで 私はお尻をさらけ出して庭に飛び出し そんな私を乳母達が 烏のような民族衣装の チャードルの裾に頓きながら追いかけました 6才にとってはこれはとても楽しい ショーでした そして学校のトイレで隠れて ダンスグループを結成して 闇市で買ったビデオで見た 『ウエスト・サイド・ストーリー』を 再現しました そして見つかって捕まった時は (見つけられてしまうものですね) キャバレーのショーの話をして 自分を正当化したのですが するとすぐに両親が呼ばれました そして一度も笑ったことのない 恐ろしい女の校長先生が エクソシストの電話番号を 両親に渡したのです 私の両親は大笑いしました エクソシストが何なのかわかると 私も大笑いしました ベールを被って過ごした 幼少期から何年も経ち その年月 私の子供の頃の 自分の反応について考えてみて その意味が分かるようになりました ベールは女性の身体を 性的なものにするのです 隠すことでベールは性的な欲望を掻き立てます 対照的に私が子供の頃 お尻丸出しにした行為は とても邪気の無いものでした ベールが女性を護ると考えるのは ばかげています ベールは女性を弱くしてしまい それを被る貞淑な女性と ベールを被ることを拒否する売女の間に 差別を作ってしまいます エジプトの統計データは不可思議に思えます 92%の女性はベールを被っていますが それでも96%は道で粗暴な扱いを 受けています カイロで言われる冗談はこうです 「残りの4%の女性は アンケートの日に外出していたんだろう」 私は被害者でいたくはありませんし 常に危険と隣り合わせでいたくありません 私は自分の存在を自分のプライベートな 身体と性に限定されるのはもううんざりでした でも それは昔々からあることです 昔 女性の身体の自由を奪っていたのは コルセットと結婚式でした コルセットと結婚式でした 今ならベールです 処女性のヒステリックな神聖化は 処女性を差別するものです この抑圧に直面して 全ての女性にとって 重要な事は 権利を取り戻すために 完全に自分の身体を 所有することだと思います 忘れてしまわないように 定期的に暗唱しているのですが マルキ・ド・サドによる 『閨房哲学』の中の マダム・サン・アンジュの こんな言葉があります 「あなたの身体はあなただけのもの 世界中であなただけに あなたの身体で歓び 好きな人にまかせる権利があります」 美しいでしょう?サドの詩です 古代ギリシャには女性の為の 婦人部屋というものがあり 女性の身体は家の中で二重に守られていました あらゆる女性の解放に関する物語には 女性の身体が 家庭内から 公の空間へと 見えないものから見えるものへと 移り変わる経過があります 仕事、投票、性の自由 これらは全て公の空間で行われるものです それでも 私たち親は少女達が 外界と触れるのを恐れながら 育てるのです 男の子達は外で遊ばせながら 女の子達は家の中に閉じ込めます WHOによると現実は 世界中の1/3の女性が 暴力や性暴力の被害者だということです その中でも大部分が 配偶者によるもので 家庭内で起こっています アメリカ人の1/4は 家庭内暴力を経験しています いつも家庭内です フランスでは 男女平等高等評議会の資料によると 2010年から2012年の間に 8万3千人の女性が レイプされたか強姦未遂の被害者になりました 83%は犯人と知り合いでした 訴えることができた人は 11%だけです 思い切ってそうしなかった女性は 罪悪感を感じているからです 彼女達が罪悪感を感じる理由は それは教育や環境が そうした罪の感情を抱かせているのです 哲学者ジョン・スチュアート・ミルは 1851年にこう言っていました あらゆる女性は子供の頃から 男性とは真逆の理想の姿を求められて 育てられていると 女性は自分の意志を持たないように躾られ 自分の意思に従ってふるまわないように 他人に従うようにしつけられます 私はこの従属に対して戦い そして男女の平等な社会のために戦うのです そして男女の平等な社会のために戦うのです ですがその解は問題を解決することなく 同じ問題の逆を作り出すだけの 母権制ではありません それに 女性の価値は男性と変わりません 女性も男性と同じ価値があります それで どうやって 平等にしていけば良いのでしょう? でもはっきり包み隠さず言うと やっぱり めちゃくちゃな状況です 家で起こることは 全て学校でも起こります ここで思い起こしてみましょう 世界中の文盲人口の775百万人中3分の2は 女性なのです その他の学校に行くことのできた女性は皆 スタンフォード大学教授の クロード・スティールが言うところの 自己成就的予言となってしまう 「ステレオタイプ化」の対象となります 基本的に 女性は自分が 数学が苦手なのだと思い込み 終いにはそうなって行くのです フランスでは2人の社会心理学の 教育者であり研究者である イザベル・レニエとパスカル・ユゲが 第5学年と第6学年の454人の学生に 様々な色の三角形と四角形が 混ざった図を描かせてみました それが絵画のテストだと言った場合には 男子学生よりも女子学生の方が より良い結果を出したのに対して それが図形の問題だと言った場合には 男子学生が女子学生よりも 良い結果を出しました これは悲しく 希望を失うような 悲惨なことです ハーバード大学学長ラリー・サマーズは 同じく痛ましく、悲しく 嘆かわしく、悲劇的なことを 2005年にこう言い切りました 「偉大な数学者の女性がいないのは 生物学的な理由がある」 それだけではなく こう付け加えたんです 「女性は男性に比べて本質的に 数学における能力が劣っている」 こんな具合です でもこの場合物語はうまい結末があります なぜなら丁度イラン出身の女性 マリアム・ミルザハニが ハーバードで学位を取り 2014年には 誉れ高きフィールズ賞を受賞した 最初の女性となりました 彼は間違っていました そう このようにして 私達の能力を証明することで 私たちの意志と野心を示すことで 私達は男女平等へと前進して行くのです しかしその為には テーブルをひっくり返さなければなりません そしてテーブルをひっくり返すには 世界を違った視点から見てみるのです テヘランで 私は私達女の子を 直視してくれなかった 宗教学の教授に こう聞いてみました 何故私はベールを被らないといけないのか 彼は短く答えました 「あなた方女性は危険物だからですよ」 これは確かに侮辱的です でも救われる思いもしました 私は8才でしたがそんなに怖い? こんなに貧相な体をしているのに そして先生はとても歳上なのに? 私にはスーパーパワーがあるのでしょうか? 女性は全員が力を 持っているのでしょうか? その日私はもう二度と客体化されモノとして 力を奪われることのないように 自分のスーパーパワーを保つことにしました 私はこのようにして始めました 世界を今までとは 違った見方で見るのです 客体から行動する主体となって 主体として自分を満たすためには 記憶と歴史が必要なのです 私はパリに来て シモーヌ・ド・ボーヴォワールの国に 来れたんだと思いました 父が約束してくれた シモーヌ・ド・ボーヴォワールに 人生や本の中で あらゆるところで出会えると期待していました でも 彼女の影響は見つけられませんでした そうした女性達はベールの影に隠れていました 現在オランプ・ド・グージュの 「女性および女性市民の権利宣言」は 学校の教科書に載っています でもその他の女性達は いったいどこでしょう? 私達の見本となり 選択肢を持たせてくれる女性達は? ユベルティーヌ・オークレールは フランスで最初に 「フェミニスト」と自称した女性で 税不払いストライキを呼びかけました それも素晴らしいスローガンを使って 「投票できないなら 税は払わない」 1881年から1882年にかけて ペルシャを横切り 古代ペルシアと西洋建築の源泉についての 基礎的な研究に貢献した 考古学者ジェーン・デュラフォイは どこにいるでしょう? ルーブル美術館には 彼女の名を冠した部屋があります 男装をしていた彼女は レジオン・ドヌール勲章を 異性装が禁止されていた時代に 授与されました フェミニストで女性解放運動家で ジャーナリストの マルグリット・デュランが発刊した 最初の女性のための新聞 『La Fronde』は 女性達だけによって 執筆されたというだけでなく 編集出版されました その内容は料理やファッションよりも 国際政治や経済といったものが 多かったのです 先駆者となった女性達は もっと遠くまで行きたいという願いを抱かせ 何世代にもわたって築かれたガラスの天井を 壊したくさせてくれる女性達は いったいどこに行ったのでしょう? こんにちも 今までのように 強迫観念が女性達の身体や権利を 縛りつけます こんにちでもこれまでのように 啓蒙時代の思想が必要です 自分を守るためではなく戦うために 私達の積み重なった偏見は 啓蒙時代の思想を 捨て去らせてしまいます 啓蒙時代の思想とは私達に 自由で自立した男女として考え行動させ 批判的思考を働かせることができるもの そのお陰で生まれ、生物、社会的地位の 烙印から脱することができるもの 啓蒙時代思想は不服従を呼びかけるものです 不服従は 女性が悪態をつくこと そして 女学生達に数学を 学ばせようとする先生たちによって 始まります 娘達の性の自由を恐れない 父親達によって 娘たちを学校に通わせ続けさせる 母親達によって 不服従は私達の革命への第一歩です ありがとうございました (拍手)