(静かな音楽)
子供の時に私の両親は家に
芸術作品の模造品があった
中にはひどいものもあった
(穴を開ける音)
(静かな音楽)
でも、客室には
表面に質感のあるゴッホの油絵があって
私は椅子を持ってきて、そこに立って触ったの
その時私は思ったわ
絵画にはそれぞれの質感があるのだと
(静かな音楽)
それはある種の心の高ぶりだわ
芸術家になるためのプロセスであり
心を満たしてくれる
そこに自由も感じるわ
(静かな音楽)
テンプレートは壁にあるのね
いいわ
部屋を飾っているところです
あら、それいいわね
(ハワーディナの笑い声)
これに何か形をつけてみたい?
えっと、そうね、こんな風に?
そう、そんな風、 いいわ
こんな風では?
いえ、今のままで
じゃあそのままでいいのね
あの、そのグネグネしているのがいいの
それからこんなのもつけてみたいわ
でもそこは変えないでね
そっちの端に、 ここ
わかったわ
こっちに引っ張る感じにしたいの
わかったわ
それとこれもね
これも足してみたいわ
わかったわ
その暗い部分をはっきりさせたいの
オッケー
私は抽象と言う概念はその人が体験したすべての経験、
言いも悪いもね、もとにした直感的な表現だとみているの
それで端的なことはわかると思うけど
さて、どうしようかしら
(静かな音楽)
抽象の概念を使って芸術を作るということは
自分の持つ空間、色、線、形に関する
直感を使っているの
つまり、私たちの思考回路を
開示しているって訳ね
それはやはり他の人の言葉を自分自身の言葉で
理解しようとしていることになるから
”立体的な絵画を描いてみたかったのですか?”
”数字に関する絵画を作りたかったのですか?”
そう言った質問には困ったわ
円の形は内なる重力のようなもので
コンパクトで且つ力強い
緊張感のあるものを作れるの
円と言うのは自然の象徴な形だから
そしてそれは惑星や、星や、
月、分子とか
我々を囲んでいる
(静かな音楽)
円と言うのは本当興味深いわ
(静かな音楽)
七十年代の前半ごろ
テンプレートを使って点をスプレーし始めたの
テンプレートはもちろん自分で作ったものなんだけどね
そのテンプレートでペイントをスプレーしたわ
(静かな音楽)
(スプレーの音)
自分でスプレーペインティングのための基本的な下書きをして
スタジオマネージャーのエリンがスプレーをしてくれる
(静かな音楽)
父はサイエンスや数学系の人で
クリスマスにはお人形なんかもらわなかったけど
代わりに顕微鏡をもらったわ
私はそれにすごく興味を持った
スライドにスポイトを使って飲み水を垂らして
それを顕微鏡で見たわ
いろいろな微生物が泳ぎ回っているのが
飲み水の中に見えた
特にパターンがなくて、ランダムで、そこらじゅうを泳ぎ回っていた
(静かな音楽)
まるでドラマだった。 ぶつかったり
動き回ったり、全然お互いに当たらなかったり
そこには理由は全くなかった
水に中に一緒にいただけ
だから顕微鏡は私の見方を変えてくれたの
その中ではすべてのものがランダムに動き回っていたから
(静かな音楽)
ああ、神様
びっくり
(この写真の中で)私はナンシーといます
いくつだったか覚えていないけど
これはすごいわ。 私の両親の家ね
フィラデルフィアのウェイン通りにあった
信じられない
これ、私の父
57歳
読書が好きで
四月十四日、私の誕生日
(写真のすれる音)
ああ、本当に面白いわね。 それは・・
祖母の家ね
これはオハイオ州のハミルトンだわ
そこに私の祖母はちょっとした土地と家を持っていて
自分で食べ物を作っていた
そのころハミルトンには食料品を売る店がなかったのかしら
(静かな音楽)
私は自分の記憶の円に引き込まれた
私の両親と一緒にオハイオに住んでいる母の母を訪ねた
ケンタッキーの北にドライブして
そこにはルートビアのお店があって
父はルートビアが好きでね
みんなと同じように冷えたジョッキグラスをもらったんだけど
ただそのグラスの底には赤い円が書いてあって
どういうことかと言うと
そのグラスは有色人種用と言う意味なの
(静かな音楽)
ちょっとそれにはショックを受けたわ
何年たっても、その円は忘れられない
そのショックが消えないの
(静かな音楽)
数字を描くのは好きだけど、でも
それがどんな意味を持ってるのか知らないわ
だから私の描く数字には意味がないの
数学者の父がずっと数字を書いているのを
見ているところからきているの
数字は美しいわ、本当に美しい
我々の生活になくてはならないもの
私たちの心のような物
心がなければ生きる意味がない
数字は私たちそのもの
(静かな音楽)
点の色はどう?
いいわ。 この豆のスープ、素晴らしい。
(人々が一緒に会話している)
ハワーディナ、以前はこんな風に自分で穴を開けていたのよ
一つ一つね
(ハワーディナの笑い)
このデュードンネに来るのは今年が三年目
三年目なの?
そう、三年目
百ピース以上?
そう何百ピースよね
いくつか色のサンプルを見たんだけど
やっぱりこの色。 豆のスープの色って呼んでるの
(皆、笑い声)
そしてその紫の青と合わせて
暗から明へと移り変わる
その変化が良いの
ちょっとバカげた質問かもしれないけど
ハワーディナ、こんなに有名になるって
今まで思ってた?
笑っちゃうほどよ
自分でも信じられないくらい
本当に信じられないわ
エイミーが香港のことをメッセージで送ってきたときね
オーマイゴッド!ってびっくり
(ハワーディナの笑い声)
(静かな音楽)
遅すぎるくらいだって思ったわ
変に聞こえるかもしれないけど
もっと私が若い時に
認めてくれていたらよかったのにって
孤独だったから
若い時はディーラーがいなくて
白人のアートコレクターには拒絶されたこともあった
なんで黒人の抽象アートを買わなくちゃいけないんだ
白人のアーティストからも買えるのにって
黒人のアーティストはみなそういう経験をした
現代美術館で十二年間働いたけど
そこにあったものはほとんど白人の男性のつくったものだった
敵意のある質問も何人かの女性の
美術歴史家からもあったわ
”あなたにはどんな資格があってこの美術館で働けるようになったの?”とか
”まったくひどい被害妄想だわ”
”そんなことは私には一度もなかったわ”
”そんな経験をした人も知らない”
でもそれは当然ね、彼女らは自由で、白人で、二十一だったから
そんな経験をするはずがない”
自由、白人、そして二十一は私が1980年に作ったビデオで
ちょうどその頃、現代美術館の仕事を
辞めた頃でした
”でも、彼女が思うに白人の生徒は
成績が低くても、道が開けるから
それでわたしは進学コースには入れなかった
白人女性の活動には少し嫌気がして
アートの世界での人種差別に
意見したかった
私は自分自身のことを語ることにしたの
だから白人女性になって、自分を批判してみた
”あなたが経験したことはわかるけど
私が思うにそれはあなたのアートだわ
それであなたを認めることができる
でもね、私たちが認める方法を使って
あなたのアートを作らなきゃだめなの
そうでなければね、あなたがシンボルを
私たちが使うように使わなければ
私たちはそれに気が付かないわ
私たちが認めなければあなたは存在しない
もし私たちの言うことができないなら
他の誰かそうできる人を見つけるわ
それでこのビデオの中でそういう話を
繰り返し繰り返しやって、そして最後に
私は自分の肌の皮を引っ張って
でも下の層も引っ張ってるようだった
アナ・メンディエタと言う番組で
わたしが作ったものを初めて公開したんだけど
一番裏の方で、メトロノームをそばで使っていたものだから
そのカチカチって音が聞こえるわ
それを見て白人たちはびっくりした
そして騒ぎ立てた
彼らは全然気に入らなかったわ
それからベルリン、スコットランド、それからアイルランドで上映されて
それで私の働いていた美術館でも流していたけど
皮肉なことにね
(ハワーディナ、笑う)
”本当にあなたって人は、これだけ私たちが手助けしたのに
感謝の気持ちってことを知らない”
(静かな音楽)
私のアートは最初はたくさんの拒絶された
でも私は辞めなかった
ギブアップしなかった
がんばり通したの
そんなとげとげしいような環境の中、私の作品は育って
拒否されたりバカにされたりも慣れっこになって
本当に皮肉なこと、今こうやって見せている作品は全く同じもの
いくつかはまったく同じものなのに
今では全く逆のリアクションを受けてる
(静かな音楽)
体はちょっと自由が利かなくなってきているのだけれど
芸術を作る心はまだ私の中にあるわ
そうやって閉じ込められた箱から飛び出して
自分が感じたことを表現できる
体が自由に動かなくてもね
わたしにとっての生きる命の源なの
だって芸術家を続けていくことに飽きがこないんだから
他のことは飽きるけど
でもここに来るとまだアートが作れる感じがするの
それは誰かに認められるからっていう訳じゃなくて
ただ私がそうしているの
(静かな音楽)