WEBVTT 00:00:07.755 --> 00:00:12.961 1944年 モンゴメリーの市営バスでの 運命的な決断の11年前のことです 00:00:13.011 --> 00:00:16.011 ローザ・パークスはある非道な 犯罪について調査していました 00:00:16.011 --> 00:00:17.126 全米黒人地位向上協会(NAACP) の特使として 00:00:17.126 --> 00:00:19.901 全米黒人地位向上協会(NAACP) の特使として 00:00:19.901 --> 00:00:23.701 レシー・テイラーと面会するため 彼女はアラバマ州の郊外を訪れていました 00:00:23.701 --> 00:00:28.017 6人の白人男性から性的暴行を 受けた若い女性です 00:00:28.017 --> 00:00:30.747 アラバマの法廷を説得し 彼らのうちの一人でも 00:00:30.747 --> 00:00:32.847 有罪にさせるのは難しいことでした 00:00:32.847 --> 00:00:34.645 しかしローザはくじけません 00:00:34.645 --> 00:00:37.365 彼女はレシーを弁護するため 委員会を立ち上げるとともに 00:00:37.365 --> 00:00:39.006 証言の数々をメディアに流し 00:00:39.006 --> 00:00:41.376 南部諸州一帯で抗議を 巻き起こしました 00:00:41.376 --> 00:00:43.626 陪審員が暴行者たちを 起訴できないとわかると 00:00:43.626 --> 00:00:46.886 彼女は州知事に大陪審の 招集を要求します 00:00:46.886 --> 00:00:48.104 州知事に向けてこう書きました― 00:00:48.104 --> 00:00:54.844 「全市民に公平な正義がもたらされることを皆に知らしめるべきだ」と NOTE Paragraph 00:00:55.324 --> 00:00:59.313 ローザ・パークスは一生を通じ 人種主義に基づく暴力や 00:00:59.313 --> 00:01:02.373 その加害者らを保護する 不公平な制度と戦い続けました 00:01:02.373 --> 00:01:05.409 しかし その努力はとても大きな危険と 00:01:05.409 --> 00:01:07.689 個人的代償を伴うものでした NOTE Paragraph 00:01:07.689 --> 00:01:13.659 ローザは1913年に生まれ アラバマの 田舎で母と祖父母に育てられました 00:01:13.659 --> 00:01:18.774 しかし わが家の外では人種主義的な暴力の恐怖が常に影を落としていました 00:01:18.774 --> 00:01:22.224 彼女の家の前ではクー・クラックス・クラン(KKK)が頻繁に行き交い 00:01:22.224 --> 00:01:25.700 ジム・クロウ法により公共の場所では 人種隔離が行われていたのです 00:01:25.700 --> 00:01:29.798 19歳で 彼女はモンゴメリー市に落ち着き レイモンド・パークスと結婚します 00:01:29.798 --> 00:01:33.378 理容師の彼もまた 人種主義に基づく 不正に怒りを膨らませていました 00:01:33.378 --> 00:01:37.146 彼はNAACPの地元支部に 携わっていました 00:01:37.146 --> 00:01:40.256 迫害を怖がり多くの人が 避けていた仕事です NOTE Paragraph 00:01:40.256 --> 00:01:42.846 初めのうち レイモンドは しきりにローザを 00:01:42.846 --> 00:01:45.366 彼らの活動がもたらしかねない 危険から守ろうとしました 00:01:45.366 --> 00:01:49.817 しかし アフリカ系アメリカ人に 対する制約に耐えかねた彼女は 00:01:49.817 --> 00:01:51.947 もはや傍観していられませんでした 00:01:51.947 --> 00:01:55.947 1943年に彼女が正式に NAACPに入会した当時 00:01:55.947 --> 00:02:00.951 モンゴメリー支部の女性メンバーは 彼女とジョニー・レベッカだけでした 00:02:00.951 --> 00:02:03.581 彼女は議事録の作成を担い 00:02:03.581 --> 00:02:06.641 ほどなく支部の書記に選出されました 00:02:06.641 --> 00:02:09.231 彼女の知られざる二重生活が 始まったのです NOTE Paragraph 00:02:09.231 --> 00:02:14.110 昼間は 母親と夫を支えるため 裁縫師として働き 00:02:14.110 --> 00:02:18.564 夜は 地方の政策論争から殺人事件 そしてヘイトクライムにいたるまで 00:02:18.564 --> 00:02:23.369 無数の公民権訴訟について 調べ まとめる生活です 00:02:23.369 --> 00:02:26.219 彼女は書記として モンゴメリー支部の声明の起草を担い 00:02:26.219 --> 00:02:30.589 アフリカ系アメリカ人にたびたび 向けられた粗雑な判決や濡れ衣 00:02:30.589 --> 00:02:35.780 そして組織的中傷と戦いました 00:02:35.944 --> 00:02:40.441 訴訟に関する仕事に加え 彼女は 戦略担当者としても才能を発揮します 00:02:40.441 --> 00:02:43.668 NAACPの青年協議会の顧問として 00:02:43.668 --> 00:02:46.591 若者たちが投票人登録や 白人専用図書館などといった 00:02:46.591 --> 00:02:50.401 隔離の諸制度をかいくぐるのを 手助けします 00:02:50.401 --> 00:02:52.711 NAACPの傘の下で 00:02:52.711 --> 00:02:56.940 ローザ・パークスは公民権を求める 活動の公然化に奮闘します 00:02:56.940 --> 00:02:59.624 彼女は市民的不服従の訓練を奨励し 00:02:59.624 --> 00:03:05.116 エメット・ティルの殺害などの 人種間暴力に対して声を上げました NOTE Paragraph 00:03:05.116 --> 00:03:09.493 1955年 人種隔離バスで後方の座席に 移動するのを彼女が拒否したことで 00:03:09.493 --> 00:03:12.503 彼女が望んでいた草の根運動に 火が付きました 00:03:12.503 --> 00:03:15.983 彼女はこの単独抗議により 逮捕・投獄されますが 00:03:15.983 --> 00:03:18.419 そこで地元の活動家たちの 訪問を受けます 00:03:18.419 --> 00:03:22.099 そして 彼らと共にバス利用の 終日ボイコットを計画します 00:03:22.099 --> 00:03:25.819 この運動は 381日間続きました NOTE Paragraph 00:03:25.819 --> 00:03:29.857 彼女の小さな行動が 公民権を 求める行動主義の芽を 00:03:29.857 --> 00:03:31.737 全国的な運動へと変えたのです 00:03:31.787 --> 00:03:34.412 1956年にボイコットが終わったのは 00:03:34.412 --> 00:03:38.917 連邦最高裁判所が公共交通機関での 人種隔離を違憲としたためでした 00:03:39.009 --> 00:03:42.047 しかし 運動の勝利は 大きな代償を伴いました 00:03:42.257 --> 00:03:45.857 運動のあいだ 彼女はひどい 殺人予告を受け続け 00:03:45.967 --> 00:03:50.128 政治的評判のせいでモンゴメリーで 働くことができなくなったのです 00:03:50.347 --> 00:03:55.013 1957年 彼女は裁縫の仕事を 続けるためデトロイトに移住し NOTE Paragraph 00:03:55.075 --> 00:03:57.669 やがて下院議員の ジョン・コンヤーズに雇われると 00:03:57.780 --> 00:04:00.480 彼の公民権運動を 手伝うようになります 00:04:00.660 --> 00:04:03.410 人種的不平等との闘いに 傾倒し続ける彼女は 00:04:03.410 --> 00:04:06.510 以後40年間にわたって 活動し続けました 00:04:06.540 --> 00:04:08.047 彼女は何冊かの本を書いたり 00:04:08.047 --> 00:04:11.307 活動家たちの応援演説のため 国中をかけまわったりしたほか 00:04:11.360 --> 00:04:14.327 亡夫に敬意を表して 青年教育の ための施設を創設しました 00:04:14.327 --> 00:04:16.643 亡夫に敬意を表して 青年教育の ための施設を創設しました 00:04:16.862 --> 00:04:20.540 今日 ローザ・パークスは最も 強大な人々や政策に立ち向かった 00:04:20.540 --> 00:04:24.183 急進的な人物として記憶されています 00:04:24.340 --> 00:04:27.019 そして彼女の行動喚起は いまも響き続けています― 00:04:27.090 --> 00:04:30.780 「なされるべきことを知れば 恐怖は無くなるのです」