WEBVTT 00:00:08.463 --> 00:00:12.013 歴史家が 20世紀に行われた 残虐行為について語る時 00:00:12.013 --> 00:00:17.503 私たちは 二度の大戦中や戦間期に なされたものを思い起こしがちです 00:00:17.503 --> 00:00:20.543 今日でいうトルコで起こった アルメニア人虐殺や 00:00:20.543 --> 00:00:22.653 中国の南京虐殺 00:00:22.653 --> 00:00:24.753 ドイツの水晶の夜に加え 00:00:24.753 --> 00:00:27.522 恐ろしい民族浄化運動が 00:00:27.522 --> 00:00:32.765 大西洋とカリブ海の間の ある島でも起きました NOTE Paragraph 00:00:32.765 --> 00:00:35.754 この事件の根源は 1492年に遡ります 00:00:35.754 --> 00:00:39.432 クリストファー・コロンブスが カリブ海の島に突き当り 00:00:39.432 --> 00:00:46.043 イスパニョーラ島と名付け ヨーロッパによる 植民地化の波が開始された時のことです 00:00:46.043 --> 00:00:50.665 島の先住民 タイノ族の多くは 暴力と疫病の犠牲となり 00:00:50.665 --> 00:00:54.543 ヨーロッパ人は 奴隷となった アフリカ人を大量に輸入し 00:00:54.543 --> 00:00:58.043 もうけの多い砂糖プランテーションで あくせく働かせました 00:00:58.043 --> 00:01:01.335 1777年の時点で この島は分裂し 00:01:01.335 --> 00:01:05.986 西側はフランスの 東側はスペインの 支配するところとなりました 00:01:05.986 --> 00:01:11.395 1804年 ハイチは 奴隷の大規模反乱の 中で フランスから独立を勝ち取り 00:01:11.395 --> 00:01:14.325 世界初の黒人共和国となりました 00:01:14.325 --> 00:01:16.515 しかし 独立の対価は大きく 00:01:16.515 --> 00:01:21.626 ハイチは 世界経済から締め出され 旧宗主国から借金を負わされました 00:01:21.626 --> 00:01:24.965 一方で ドミニカ共和国は 00:01:24.965 --> 00:01:28.756 まず ハイチによる イスパニョーラ島東部の支配を 00:01:28.756 --> 00:01:32.116 続いてスペインとアメリカの 植民地政策を覆し 独立を宣言しました 00:01:32.116 --> 00:01:36.186 二国は 長く 協力的な歴史を 共有してきたにも関わらず 00:01:36.186 --> 00:01:39.977 ドミニカ共和国のエリートの多くは ハイチのことを 白人の西欧諸国との 00:01:39.977 --> 00:01:46.148 政治的 商業的な関係を危うくする 人種的な脅威と見なしていました NOTE Paragraph 00:01:46.148 --> 00:01:48.001 第一次世界大戦の開戦後 00:01:48.001 --> 00:01:51.357 アメリカは 島の両国を占領しました 00:01:51.357 --> 00:01:54.832 アメリカは 西半球における 権力を確実のものとするため 00:01:54.832 --> 00:01:59.308 現地の反対勢力を滅ぼし 親米政権を樹立させていました 00:01:59.308 --> 00:02:02.860 アメリカによる占領の 残酷で人種主義的な性質は 00:02:02.860 --> 00:02:06.208 特に 辺境にあるドミニカ共和国と ハイチの国境にて 00:02:06.208 --> 00:02:10.872 アメリカの撤退後に残虐行為を 発生させる 土台を形成しました NOTE Paragraph 00:02:10.872 --> 00:02:15.007 1930年 ドミニカ共和国の 自由主義的な オラシオ・バスケス大統領は 00:02:15.007 --> 00:02:19.279 軍の最高責任者 ラファエル・ トルヒーヨに覆されました 00:02:19.279 --> 00:02:22.009 彼自身ハイチ人のクォーターだったにも 関わらず 00:02:22.009 --> 00:02:25.991 二文化が共存する ハイチと ドミニカ共和国の国境地帯を 00:02:25.991 --> 00:02:28.019 彼の権力への脅威と 00:02:28.019 --> 00:02:32.159 政治的反対勢力の脱出経路と 目しました 00:02:32.159 --> 00:02:35.739 1937年 10月2日になされた 背筋の凍るような演説で 00:02:35.739 --> 00:02:39.389 彼は 国境地帯に対する意向を 明確に表明しました 00:02:39.389 --> 00:02:43.493 トルヒーヨは ドミニカ人農民を 窃盗や襲撃から守るためと称して 00:02:43.493 --> 00:02:48.119 国境地帯のハイチ人 300人の殺害を発表し 00:02:48.119 --> 00:02:53.179 この「除去」が 今後も 継続することを約束しました NOTE Paragraph 00:02:53.179 --> 00:02:55.879 その後 数週間に渡って ドミニカ共和国の軍隊は 00:02:55.879 --> 00:02:57.949 トルヒーヨの命に従って 00:02:57.949 --> 00:03:01.540 数千人ものハイチ人 男性と女性 そして 00:03:01.540 --> 00:03:04.400 ドミニカ共和国生まれの子供 ですら 殺害しました 00:03:04.400 --> 00:03:07.270 多くのドミニカ人自身の 皮膚が黒いにも関わらず 00:03:07.270 --> 00:03:11.470 軍隊は 黒人のハイチ人を 攻撃対象としました 00:03:11.470 --> 00:03:14.170 いくつかの証言によると ハイチ人とドミニカ人を 00:03:14.170 --> 00:03:16.161 見分けるため 00:03:16.161 --> 00:03:21.341 殺害者側は被害者に 「パセリ」 をスペイン語で言わせたとしています 00:03:21.341 --> 00:03:25.470 ドミニカ人は「ペレヒル」と言い rの音は スペイン語のため 巻き舌です 00:03:25.470 --> 00:03:30.732 しかし ハイチの代表的言語である クレオール語は 巻き舌 r を用いません 00:03:30.732 --> 00:03:33.349 つまり「ペレヒル」と言うのに 苦労した人は 00:03:33.349 --> 00:03:37.481 ハイチ人と見なされて 即座に殺害されたということです 00:03:37.481 --> 00:03:40.620 しかし 近年の研究によれば 国境地帯の多くの住民は 00:03:40.620 --> 00:03:44.422 バイリンガルであったため こういった検査だけが 殺害対象を 00:03:44.422 --> 00:03:48.431 見極める要素となった訳では なかったと示唆されています NOTE Paragraph 00:03:48.431 --> 00:03:52.051 ドミニカ共和国政府は 虐殺の報道を全て検閲する一方で 00:03:52.051 --> 00:03:54.242 死体を峡谷に放り込み 00:03:54.242 --> 00:03:55.523 川に投げ込み 00:03:55.523 --> 00:03:58.302 あるいは燃やして 証拠を隠滅していました 00:03:58.302 --> 00:04:02.233 はっきりとした死者数が 誰にも わからない理由はここにあります 00:04:02.233 --> 00:04:07.548 しかし 虐殺当時の推測によれば 死者数は 4千から1万5千人とされています 00:04:07.548 --> 00:04:11.341 それでも 虐殺の悲惨さは 多くの 傍観者の目に 明らかに映りました NOTE Paragraph 00:04:11.341 --> 00:04:14.933 当時の 駐ドミニカ共和国 アメリカ大使はこう記しました: 00:04:14.933 --> 00:04:19.114 「国境地帯の北西部全体 ダハボン側からは 00:04:19.114 --> 00:04:22.144 ハイチ人が全くいなくなった 00:04:22.144 --> 00:04:28.454 殺されなかった者は 国境を渡ったか まだ茂みの中に隠れている」 00:04:28.454 --> 00:04:30.833 政府は 責任を否認し 00:04:30.833 --> 00:04:33.884 殺害は 自警団によるものと 責任転嫁を試みたものの 00:04:33.884 --> 00:04:37.040 トルヒーヨは 国際的な非難を浴びました 00:04:37.040 --> 00:04:38.884 結局 ドミニカ共和国政府は 00:04:38.884 --> 00:04:44.514 ハイチに わずか52万5千ドルの賠償金を 払うことを余儀なくさせられましたが 00:04:44.514 --> 00:04:46.364 腐敗した官僚のために 00:04:46.364 --> 00:04:51.167 その賠償金は 生存者や遺族には ほとんど届きませんでした 00:04:51.167 --> 00:04:53.884 そして トルヒーヨも 他の政権関係者も 00:04:53.884 --> 00:04:58.114 この 人道に対する罪に関して 処罰されることはありませんでした NOTE Paragraph 00:04:58.114 --> 00:05:01.115 この虐殺は 現在でも 二国間の緊張の 00:05:01.115 --> 00:05:02.764 原因であり続けています 00:05:02.764 --> 00:05:07.464 両国の活動家は この過去の傷を 癒そうと 試みてきました 00:05:07.464 --> 00:05:10.303 しかし ドミニカ共和国政府には 00:05:10.303 --> 00:05:14.015 虐殺や その被害者を 正式に記念する動きはありません 00:05:14.015 --> 00:05:18.906 一方で このハイチ人虐殺事件は 権力欲の強い指導者が 人々に対して 00:05:18.906 --> 00:05:22.166 生涯を通じた隣人を攻撃するよう 操ることができるという 00:05:22.166 --> 00:05:24.727 ぞっとする警告を 伝え続けています