0:00:11.640,0:00:16.650 人間として生まれるのは、巨大な忘れ物をすること。 0:00:18.730,0:00:24.970 条件付けられた精神は、私たちの真我を覆い隠し、 0:00:28.050,0:00:34.210 私たちを分離、制限、疑惑の世界に陥れます。 0:00:36.370,0:00:42.050 本当のあなたは誰?幸せを求め苦しみを避けながら 0:00:42.760,0:00:48.210 人生を歩む、単に肉体に宿る精神なのでしょうか。 0:00:48.210,0:00:53.641 それとも全く別な、もっと深くて永久的なものなのか。 0:00:53.641,0:01:00.180 言葉では説明できない、発見すれば真の幸せと充実感を 0:01:00.180,0:01:07.660 つかめる存在でしょうか。ここでは、精神のベールや、 0:01:07.660,0:01:10.720 思考や、感覚を超越した、 0:01:10.720,0:01:15.632 本当の自分を発見していきます。 0:01:33.392,0:01:40.022 精神とは何か?古代より数えきれないほど 0:01:40.022,0:01:44.430 何度も問われてきた質問です。人類の最も初期の 0:01:44.430,0:01:49.790 精神的、科学的探究以来、人間の精神は様々な 0:01:49.790,0:01:55.380 文化により概念化され、理解されてきました。 0:01:55.380,0:02:01.580 人々は哲学や心理学、科学理論や直接的な調査方法 0:02:01.580,0:02:08.280 で精神の秘密、つまり肉体や精神を超越した存在 0:02:08.280,0:02:14.790 の謎を解こうとしました。精神は普通、脳など頭の 0:02:14.790,0:02:19.220 中にある思考力や理解力だと考えますが、 0:02:19.220,0:02:27.505 これより全然深く、二元性を持っています。 0:02:28.155,0:02:33.260 「マーヤ」や幻影、エゴ(自我)とも呼ばれます。 0:02:33.900,0:02:41.050 ラテン語でエゴは単に「私」を意味します。 0:02:41.050,0:02:47.915 「私」という物体に自分を限定するのがマーヤで、 0:02:47.915,0:02:53.920 限定しなければ、すべての現象が現れては消える 0:02:53.920,0:02:59.470 意識自体に目覚め、別の「私」を認識しなくなります。 0:02:59.960,0:03:06.920 「私」の本当の意味は、無限な認識や意識のことで、 0:03:06.920,0:03:13.410 それがただひとつ存在する「私」です。ところが、 0:03:13.410,0:03:19.670 私たちの自己意識が思考、イメージ、感情などの経験 0:03:19.670,0:03:25.560 と深く絡み合っているため、自分自身を本質的に、 0:03:25.560,0:03:32.760 本来あるがままに認識しません。経験を取り入れた、 0:03:32.760,0:03:39.970 修正された形で認識します。無限の認識・意識 0:03:39.970,0:03:44.940 である真我と、経験内容を合わせたものが自我や 0:03:44.940,0:03:52.080 個別の自分という、幻影の自分を作り上げます。 0:03:52.080,0:03:56.020 自我とは、自分は人間だという、非常に持続的で、 0:03:56.020,0:04:00.270 非常に強く、非常に堅固な考えです。肉体と精神内 0:04:00.270,0:04:06.811 の存在、あるいはただの肉体と精神だと考えます。 0:04:06.811,0:04:17.727 自我は幼い頃から精神が形成した個別の自分です。 0:04:17.727,0:04:25.820 自我は作り上げた存在で、現実ではなく、体と認識 0:04:25.820,0:04:34.690 する部分、自分は個別だと思う精神の一部です。 0:04:34.690,0:04:43.750 自我は個人的な私ですが、真我ではありません。 0:04:43.750,0:04:49.583 頭の中で構成した私です。本来の私ではありません。 0:04:49.583,0:04:58.279 本来の私はより深く、常にいる、根底にある存在です。 0:04:58.869,0:05:05.600 二元性の精神は、目撃者と目撃されるものの2つの 0:05:05.600,0:05:11.540 根本要素を持ちます。感覚、知覚、自我の好みで 0:05:11.540,0:05:17.930 構成された世の現象があり、それとは別の「私」が 0:05:17.930,0:05:25.110 目撃している感覚があります。覚醒とは、目撃者と 0:05:25.110,0:05:32.260 目撃されるものの二元性に目覚め、主体と客体の間に 0:05:32.260,0:05:38.710 存在する原始的な意識を自覚することです。 0:05:38.710,0:05:45.600 幼い子供たちを観察しますと、自我がなく、常に 0:05:45.600,0:05:50.730 参加者として生きています。世界から切り離されて 0:05:50.730,0:05:54.590 いないために、爽快に生きています。 0:05:54.930,0:06:01.130 私たちは生まれたときは依存的で、まだ概念的な思考を 0:06:01.130,0:06:06.709 持っていません。成長するにつれ、概念と自己認識つまり 0:06:06.709,0:06:12.040 自立するために自分の行動を振り返る能力を身につけます。 0:06:12.040,0:06:16.880 この思考プロセスが内的アイデンティティになります。 0:06:16.880,0:06:23.640 自我の形成は、誕生後すぐに始まります。私たちは、 0:06:23.640,0:06:29.950 いずれ「私」と呼べるアイデンティティを築きます。 0:06:29.950,0:06:37.710 人間の発達における鏡像段階とは、生後 6~18か月 0:06:37.710,0:06:42.660 頃で、子供が鏡に映った自分を認識する段階です。 0:06:42.660,0:06:52.710 これは自我形成の一段階にすぎません。鏡に映った人物を 0:06:52.710,0:06:59.390 認識して自我を得るのではなく、周囲の人々が自分を 0:06:59.390,0:07:07.730 別の人間、別の「私」として扱う社会化プロセスです。 0:07:07.730,0:07:13.870 体に生じる感覚、知覚と概念化を通じて「私」という 0:07:13.870,0:07:21.740 感覚を覚えるようになります。精神は物事を分類して 0:07:21.740,0:07:28.020 区別し、それらに対して好みを持つようになります。 0:07:28.020,0:07:33.291 好きなものや、嫌いなものがあります。この「私」が、 0:07:33.291,0:07:40.070 人生を歩む中で、個別で独自のアイデンティティになります。 0:07:40.070,0:07:44.230 それは、私たちが自分だと思い込んでいる人物の物語です。 0:07:44.230,0:07:48.620 私たちの意識はとても若いうちから、子供のうちからそれを 0:07:48.620,0:07:54.965 信じ始め、それが私たちとともに成長し、自分が一人の人間 0:07:54.965,0:08:00.930 であると確信するまで成長します。人間が成長し、思春期 0:08:00.930,0:08:06.760 から成人になるにつれ、分離感つまり頭の中に住む「私」 0:08:06.760,0:08:15.980 の感覚を覚えます。そして各々が物足りなさや不完全さに 0:08:15.980,0:08:21.130 かられた個別の自我となり、その不完全さを埋め合わせる 0:08:21.130,0:08:25.990 ために、物品を蓄積する欲望に支配される人生を送ります。 0:08:25.990,0:08:31.350 あらゆる問題の原因は、精神です。精神には、 0:08:31.350,0:08:35.330 すべてが別々であるという錯覚を作る力があります。 0:08:35.330,0:08:41.410 自分が世に住む一人の人間であるという錯覚です。 0:08:41.410,0:08:48.750 経験から立証できますが、心理的苦痛を経験するのは 0:08:48.750,0:08:56.590 自分は別の人間、別の存在であるという信念から 0:08:56.590,0:09:04.020 必ず生じます。例外は一つも、一つもありません。 0:09:04.020,0:09:11.000 肉体的な苦痛は別ですが、精神的な苦痛を感じる必要 0:09:11.000,0:09:18.819 は全くなく、自分が個別の精神や体だと信じ込むこと 0:09:18.819,0:09:26.960 から生じます。なぜなら、私たちは分かれて散らばった 0:09:26.960,0:09:32.919 パズルのピースのように、全体から切り離された断片 0:09:32.919,0:09:38.110 に相当するからです。それで「何かが足りない」「何かが 0:09:38.110,0:09:42.406 おかしい」と思います。精神は克服できない障害に見えます。 0:09:42.406,0:09:47.110 どうすれば克服できるか。終わりなきものに思えます。 0:09:47.330,0:09:53.190 精神を使って精神を克服するのは、自分のブートストラップ 0:09:53.190,0:09:59.120 で自分を持ち上げようとする如く、終わりなき戦いです。 0:09:59.360,0:10:05.600 自我の構造は打撃を受け、迷い、困惑し、人生に意味がない 0:10:05.600,0:10:12.030 と感じます。そして、その探求心がもがくとき、十字架の 0:10:12.030,0:10:18.160 聖ヨハネが「魂の暗夜」と名付けた状態を経験します。 0:10:18.160,0:10:24.883 これは目覚める過程で必要なことです。探求をやめ、自分を 0:10:24.883,0:10:32.860 探求者だと信じ込むのをやめれば、生命と一体化できます。 0:10:44.170,0:10:49.680 私は良い人生を過ごしていました。精神的探求は何となく 0:10:49.680,0:10:55.440 諦めていました。諦めたというか、これ以上探すものが 0:10:55.440,0:11:00.961 なかったのです。悟りや覚醒を求めていた訳ではありません。 0:11:00.961,0:11:06.970 平和と幸福を求めていたら、現状に身を委ねることが唯一の 0:11:06.970,0:11:12.430 道であり、人生が私の師であることに気付きました。長年の 0:11:12.430,0:11:21.050 探求の末、すべてが崩れました。自分と思っていた自我の 0:11:21.050,0:11:31.850 構造が崩れました。居間に座っていたら、荒廃のような 0:11:31.850,0:11:41.020 ものが私の中に生じ、それが数週間続きました。予想外 0:11:41.020,0:11:50.990 の内的暗闇。見捨てられたような...生命そのものに 0:11:50.990,0:12:01.930 見捨てられたような感覚でした。そして精神が、この 0:12:01.930,0:12:07.480 内的暗闇から脱出したがっていることに気付きました。 0:12:07.480,0:12:17.800 自分に質問しました。「なぜ苦しむの?苦しみの本質は? 0:12:17.800,0:12:25.670 どうすれば苦しみが終わるの?それとも終わらないの?」 0:12:25.670,0:12:32.220 その末、たとえ自分が滅びても、今の状況や暗闇 0:12:32.220,0:12:39.730 から逃げず、身を委ねる意志が湧きました。 0:12:39.730,0:12:46.286 私が滅びることの意味は分かりませんでしたが、 0:12:46.286,0:12:51.820 まだ意識にない認識というか、その瞬間全く予想 0:12:51.820,0:12:59.410 なく、自分の構造が崩れました。「私」が死に、 0:12:59.410,0:13:13.130 私と生命を区別するそのものと結合しました。 0:13:13.130,0:13:18.700 それ以来、私と生命は別でなく一つだと知りました。 0:13:18.700,0:13:26.340 分別感を作るのは精神の動きです。それ以来、 0:13:26.340,0:13:34.238 自分を被害者だと思う「アモダ」の構造が、自分 0:13:34.238,0:13:40.440 を状況だけでなく感情や思考の被害者と感じ、 0:13:40.440,0:13:46.370 思考や感情をもっとポジティブで希望溢れるものに 0:13:46.370,0:13:52.432 変えて行こうという努力が終わりました。 0:13:52.432,0:13:59.020 被害者がいなくなり、生まれ変わったようでした。 0:13:59.020,0:14:04.700 死んでそのように生まれ変わりました。「アモダ」 0:14:04.700,0:14:10.040 というアイデンティティの感覚のベールが、彼女 0:14:10.040,0:14:17.898 の歴史や思考や信念や経験が剝がれたようでした。 0:14:17.898,0:14:23.510 その瞬間から私は裸になり、今も変わりません。 0:14:27.050,0:14:32.920 仏教の四諦の一つ目は、苦が存在することです。 0:14:32.920,0:14:39.580 条件づけられた精神は本質的な不満を持ちます。 0:14:39.580,0:14:47.120 ドゥッカ、つまり精神の不満は、肉体や精神の 0:14:47.120,0:14:53.690 苦痛以外に、万物の無常性や世俗的な追求で 0:14:53.690,0:15:00.780 満足を得られないという微妙な不満も含みます。 0:15:00.780,0:15:07.570 真の幸せや満足感は物質的追求から得られません。 0:15:07.570,0:15:11.428 全てが計画通りに行っているようでも、善良な人間 0:15:11.428,0:15:16.365 になれても、人間関係や仕事がうまく行っても、 0:15:16.365,0:15:21.970 まだ心の底で何か物足りなさをよく感じます。 0:15:21.970,0:15:29.090 何かを見逃しているか、うまく認識していないと 0:15:29.090,0:15:36.020 感じ、それを追究することでより明確になります。 0:15:36.020,0:15:42.690 覚醒の第一歩は、苦痛を認めることだと、私は 0:15:42.690,0:15:50.280 よく言います。人生がうまく機能しないあるいは 0:15:50.280,0:15:56.360 自分がうまく人生で機能できないと感じることです。 0:15:56.360,0:16:00.263 不快ですが、その不快感のおかげで追究を決意し、 0:16:00.263,0:16:07.173 想像を絶する世界に導かれるかもしれません。 0:16:07.173,0:16:15.520 人はなぜ苦しむのでしょう?肉体的な苦痛の場合、 0:16:15.520,0:16:29.340 それは遺伝的に受け継いだ保護装置だと言えます。 0:16:29.340,0:16:38.060 痛みを経験しなければ、常に物にぶつかったり、 0:16:38.060,0:16:46.520 硫酸を飲んだり、体は長持ちしないでしょう。 0:16:46.520,0:16:51.740 心理的苦痛の意味は違います。「あなたは間違って 0:16:51.740,0:17:00.330 いますよ」というものです。心理的苦痛は問題 0:17:00.330,0:17:05.930 ではなく、解決の始まりです。心理的苦痛は、 0:17:05.930,0:17:12.540 私たちが個別の人間だと信じ込む間違いを指摘 0:17:12.540,0:17:19.150 しています。それは根本的な間違いで、原罪です。 0:17:19.150,0:17:27.763 私たちをエデンの園から追放した、原罪です。 0:17:30.260,0:17:37.790 「罪」は元々、「的を外す」という意味です。 0:17:37.840,0:17:46.104 自我意識は、常に的を外す病的な心理状態です。 0:17:46.104,0:17:51.200 これが「堕落」の意味です。私たちは善悪の 0:17:51.200,0:17:56.850 知識の木の実、つまり思考に焦点を合わせます。 0:17:56.850,0:18:03.050 二元的な精神は、物質界を形作る現象から成り、 0:18:03.050,0:18:10.250 感覚、知覚、自我の好み、そして別の「私」が 0:18:10.250,0:18:15.200 目撃している感覚から成ります。この「私」と 0:18:15.200,0:18:20.150 いう思考が、自分を自我だと思い込む根源です。 0:18:20.150,0:18:30.226 いかなる経験も、経験者は私です。悲しみや、 0:18:30.226,0:18:34.770 不安や、孤独感を感じるのは私です。あなたと 0:18:34.770,0:18:39.060 話していれば、話すのは私です。世界を見て 0:18:39.060,0:18:43.340 いれば、見るのは私です。すべて「私」を中心に 0:18:43.340,0:18:54.220 経験します。「私」が中心人物であれば、本質的な 0:18:54.220,0:19:01.152 調査、つまり覚醒の前提条件は、「私」の本質、 0:19:01.152,0:19:06.360 つまり自己を探求し、認識することです。 0:19:07.210,0:19:12.027 仏教で最も崇拝される経典の一つ、般若心経では、 0:19:12.027,0:19:18.120 解脱するには、二元的な精神が空であることに 0:19:18.120,0:19:24.418 気付く必要があると説いています。「私」が消えれば 0:19:24.418,0:19:36.242 二元性自体が崩壊します。『色即是空、空即是色』。 0:19:36.242,0:19:41.690 サマーディ状態では空虚が充足感として踊り、 0:19:41.690,0:19:48.900 静寂は動きに、そして沈黙は音に内在します。 0:19:48.900,0:19:55.940 人生を精神のフィルターなく直接体験します。善悪 0:19:55.940,0:20:04.660 の知識の木の実を追い求めず、古い方法で世と接しなく 0:20:04.660,0:20:11.923 なったとき、それは解脱であり苦しみの終わりです。 0:20:11.923,0:20:18.550 自分の精神や無知や自我を持っていると信じるのは 0:20:18.550,0:20:23.920 別の観点から見ているからで、最初はそう見えても 0:20:23.920,0:20:29.470 仕方ありませんが、それが現実ではありません。 0:20:29.470,0:20:36.410 現実は生命だけ、行動する純粋な生命しかありません。 0:20:36.410,0:20:40.700 苦しみとは生命への抵抗で、あるものやないものに 0:20:40.700,0:20:46.230 対する抵抗、現れるものすべてに対する抵抗です。 0:20:46.230,0:20:50.411 自分が分離していると感じるからで、覚醒とは 0:20:50.411,0:20:55.144 分離しているという考えから回復することです。 0:20:56.134,0:21:01.750 宇宙のエネルギーがどう動くか観察することで、 0:21:01.750,0:21:07.699 自我の抵抗を理解することができます。ひとつ 0:21:07.699,0:21:14.330 の方法はリヒテンベルク図を見ることです。 0:21:14.330,0:21:20.392 リヒテンベルク図は、高電圧の放電が物質を通過 0:21:20.392,0:21:26.820 するときに発生するパターンです。枝分かれした 0:21:26.820,0:21:34.404 模様が発生します。ここでは板に電流が流れています。 0:21:34.404,0:21:40.090 次は500 万ボルトの粒子加速器を使いアクリルブロック 0:21:40.090,0:21:49.590 に数兆個の電子を注入しました。このブロックを含め、 0:21:49.590,0:21:56.610 すべての物質はエネルギーに抵抗し、減速させます。 0:21:56.610,0:22:02.680 雷雨では、空気抵抗が導電路の形成と電流の流れに 0:22:02.680,0:22:10.489 影響します。エネルギーが作る木のような模様は、 0:22:10.489,0:22:19.500 時間をかけて媒体をたどった経路です。この枝分かれ 0:22:19.500,0:22:28.719 したパターンは、自然内でミクロからマクロのレベル 0:22:28.719,0:22:35.547 まで存在します。宇宙の構造自体が形や抵抗の遊びで、 0:22:35.547,0:22:41.820 巨大な精神が一人で鬼ごっこをするかのようです。 0:22:41.820,0:22:46.440 サムスカーラ、つまり無意識のパターンは経験の電荷が 0:22:46.440,0:22:54.410 高いときに生じます。エネルギーが合併し、「私」の思考、 0:22:54.410,0:23:00.930 抵抗が発生します。抵抗がなければエネルギーは通過し 0:23:00.930,0:23:07.020 生命が流れますが、抵抗があり「私」が現れると分岐し、 0:23:07.020,0:23:12.510 無意識の精神に新しい経路を作ります。 0:23:12.510,0:23:20.040 これらのパターンは陰で成長し、再び明かされ、 0:23:20.040,0:23:25.433 意識的に統合されるまで自律的に実行されます。 0:23:26.263,0:23:31.870 私の最初の記憶は、凄く怖かったけれどなぜ怖いのか 0:23:31.870,0:23:38.910 分からず、今にも悪いことが起きる予感がしました。 0:23:38.910,0:23:46.360 その思いは生涯続き、20代で更に強くなりました。 0:23:46.360,0:23:52.440 子供を4人産んだ後も、深いうつ状態に陥りました。 0:23:52.440,0:23:59.440 そして3~4年間、何を探しているのかわからない 0:23:59.440,0:24:03.500 まま必死に探しました。覚醒について聞いたことも、 0:24:03.500,0:24:11.040 何なのかも知りませんでした。探していたものが外界 0:24:11.040,0:24:18.050 では見つからないことが次第に明らかになりました。 0:24:18.050,0:24:23.020 当時、誰もが望むような良い家庭やビジネスに恵まれ 0:24:23.020,0:24:32.960 ながらも心の中は空虚で、うつ病を癒すために瞑想を 0:24:32.960,0:24:41.830 発見し、それに没頭してある種の平和、深い満足感を 0:24:41.830,0:24:48.000 感じました。そしてほんの一瞬でしたが、生まれて 0:24:48.000,0:24:55.090 初めて不安や恐れが消えました。何が起き、何が変わり、 0:24:55.090,0:24:59.757 なぜ恐怖感が戻ったか、完全に調査することに 0:24:59.757,0:25:05.260 しました。様々な霊的修養法について調べ、 0:25:05.260,0:25:10.480 覚醒や悟りのことを知り、何なのか理解しよう 0:25:10.480,0:25:19.920 としました。そして15~20年後にやっと、 0:25:19.920,0:25:24.850 思考を信じないことだと知りました。思考はまだ 0:25:24.850,0:25:29.530 続きますが、恐怖感はそれを信じ、自分を人生を 0:25:29.530,0:25:36.860 歩む一人の人間と思うことから来ており、自分は 0:25:36.860,0:25:46.510 それ以上だと知りました。5年かけて、自分は不滅 0:25:46.510,0:25:50.779 だという考えが根付きました。それに反する全て 0:25:50.779,0:25:58.720 の、例えば私は駄目な親だとか、不十分だという 0:25:58.720,0:26:05.108 心底の感情を見つめ、調査し、熟考する必要が 0:26:05.108,0:26:12.546 ありました。そのうちに平和感が安定し、楽になり、 0:26:12.546,0:26:18.950 喜びや愛情、時には至福さえ感じました。すべてが 0:26:18.950,0:26:24.650 大丈夫いう深い思い、安らぎ、安全さ、今まで感じた 0:26:24.650,0:26:30.120 ことのない、自分を愛せる、好きだという思いです。 0:26:32.270,0:26:37.430 多くの人が覚醒の兆しを感じたあとに失います。 0:26:37.430,0:26:42.990 得たが手放した、目覚めたが精神が戻ってきたと 0:26:42.990,0:26:49.500 いうゲームです。これは覚醒を完全に認識しない 0:26:49.500,0:26:57.437 時に起こります。サマーディの際に、エネルギー、 0:26:57.437,0:27:05.640 至福、精神意識や知覚の変化、安らぎや解放感など 0:27:05.640,0:27:10.399 心地よい状態を経験し、それを真我と勘違いします。 0:27:10.399,0:27:17.684 覚醒の兆しを経験してから、既存の意識を認識し 0:27:17.684,0:27:24.080 それを真の充足感の源だと認識できず、状態や経験 0:27:24.080,0:27:30.320 を追い始めます。真我は臨時的な状態や経験では 0:27:30.320,0:27:38.250 ありません。現象は現れては消えますが、残った 0:27:38.250,0:27:46.890 原初の意識は常に存在します。状態や経験を追い 0:27:46.890,0:27:52.582 続ければ、求道者がますます強調され、真実から 0:27:52.582,0:27:57.736 更に遠ざかります。求道者が臨時的なものを 0:27:57.736,0:28:01.873 追うのは、中毒者が一時的な高揚感を追うのと 0:28:01.873,0:28:06.020 同じで、常に的を外し、偽の求道者は中毒者 0:28:06.020,0:28:10.930 のように、常に危機や失敗に終わります。 0:28:11.600,0:28:17.498 人生は中毒性の行動パターンのお祭りのようで、 0:28:17.498,0:28:22.280 アルコールやニコチンだけでなく、社会で優勢な 0:28:22.280,0:28:27.090 行動すべてが中毒性パターンになり得ます。例えば 0:28:27.090,0:28:34.320 リアリティ番組、芸能人の生活、靴を買う事に対する 0:28:34.320,0:28:40.379 依存症などです。なぜならば、極めて無意味で不自然 0:28:40.379,0:28:48.270 な生き方から逃れる方法を探しているからです。 0:28:48.270,0:28:52.401 しかし逃れ方を知らないため、依存症に陥ることで 0:28:52.401,0:28:58.120 補おうとします。真実の知識は人生をより自然にし、 0:28:58.120,0:29:03.630 自然のリズムや流れ、方向によりよく合わせる特徴 0:29:03.630,0:29:10.135 があります。そうすれば依存症は必要なくなり、 0:29:10.135,0:29:15.331 あなたの人生はあなたのもので、私の人生は私のもの 0:29:15.331,0:29:20.808 という歪んだ、最も不自然な考え方をせず、より充実 0:29:20.808,0:29:26.560 した、より健康的な生活を送ることができます。 0:29:26.560,0:29:32.169 僕のリンゴの木の花が、人生は私のもので、永遠に 0:29:32.169,0:29:36.230 生きたいと思うようなものです。花の期待通りに 0:29:36.230,0:29:38.410 なれば、リンゴも、リンゴの木もなくなります。 0:29:38.410,0:29:43.917 真実を理解すれば、自己中心的な人生、つまり 0:29:43.917,0:29:49.740 欲望と嫌悪のパターンを絶えず養う人生から、 0:29:49.740,0:29:54.920 より自然で流れに沿った人生へと移行します。 0:29:54.920,0:29:59.990 ある時点でこの考えが危機に陥り、霊的 0:29:59.990,0:30:07.380 あるいはその前に心理的探求を始めるでしょう。 0:30:07.380,0:30:11.300 そして分離しているという幻想を超えて見る準備が 0:30:11.300,0:30:18.005 でき、意識的な探求が始まります。この霊的探求は 0:30:18.005,0:30:23.360 自分が気付く前に始まるかもしれませんから。 0:30:23.360,0:30:32.147 それが意識的になれば、人生の展開を戦いでなく、 0:30:32.147,0:30:36.680 目覚めることへの勧誘として見ることができ、 0:30:36.680,0:30:40.570 人生に対してよりオープンになり始めます。 0:30:40.570,0:30:47.250 また、苦難は洞察力をあおる最良のツールです。 0:30:47.250,0:30:51.763 人は苦しまなければ深い質問をしません。苦しく 0:30:51.763,0:30:56.290 なければ、人生の波に快楽主義的な軽薄な気持ち 0:30:56.290,0:31:01.140 で乗るだけで、何が起きているのか考えません。 0:31:01.140,0:31:06.090 私は誰?これら全ての目的は?いや、意味は何? 0:31:06.090,0:31:10.000 苦しまない限り、このような質問はしません。 0:31:10.000,0:31:13.860 なので苦しみは洞察力を促す、すごいツールです。 0:31:13.860,0:31:20.930 人は必要以上に状況を悪化させ、不要な苦しみを作ります。 0:31:20.930,0:31:25.410 僕はメタ苦と呼んでいます。メタ苦は、苦しいが苦しむ 0:31:25.410,0:31:31.150 べきでないという、頭の中の小さな声から生じ、苦しみを 0:31:31.150,0:31:35.700 倍増させます。なぜなら、今度は避けられない自然な 0:31:35.700,0:31:40.385 苦しみに加え、自然と戦ったり本来の苦しみと戦って 0:31:40.385,0:31:46.510 いることに対するメタ苦があるからです。目的は洞察 0:31:46.510,0:31:52.625 につながる自然プロセスを排除することではなく、 0:31:52.625,0:31:58.380 それと戦うことで不必要に悪化させないことです。 0:32:00.080,0:32:07.292 苦に抵抗するのをやめればそれは苦でなくなり、 0:32:07.292,0:32:13.900 有益なものに変化します。「ありのままを愛せ」と 0:32:13.900,0:32:21.575 精神界でよく聞きます。自我の好みを放棄し、生命 0:32:21.575,0:32:27.322 との絆を深めるための激しい現象だと理解する 0:32:27.322,0:32:33.794 ことで、沸き上がる痛みを愛することができます。 0:32:33.794,0:32:39.400 ありのままに平静を保つことで、自我構造内の抵抗 0:32:39.400,0:32:47.290 パターンを浄化し始めます。次は降伏パラドックス 0:32:47.290,0:32:53.381 で、抵抗するものは持続するということに気付く 0:32:53.381,0:33:00.450 ことです。抵抗は自我を強化します。自我は抵抗 0:33:00.450,0:33:06.130 そのものです。修行をする際に、感情を経験すべき 0:33:06.130,0:33:12.320 でない、憎しみや怒りを感じたら退行していると 0:33:12.320,0:33:19.300 思いますが、感情は全て経験する必要があります。 0:33:19.300,0:33:25.292 逆説的なのは、感情を完全に受け入れ抵抗を捨てる 0:33:25.292,0:33:31.458 ことで、それが信念、判断、好みに満ちた感情から 0:33:31.458,0:33:37.130 評価する精神を超越した、純粋で生き生きとした 0:33:37.130,0:33:43.170 感覚に変化することです。 0:33:47.460,0:33:52.720 これを説明する有名な禅の話があります。ある生徒が 0:33:52.720,0:34:01.308 賢く平静な禅僧天神に尋ねました。「師匠、奥様 0:34:01.308,0:34:09.430 が死んだとき悲しみましたか?」「もちろんです。」 0:34:09.430,0:34:15.700 と天神が答えたら、生徒は驚き、「禅僧は感情を 0:34:15.700,0:34:23.580 感じないはずですよね。」と言った。天神は優しく 0:34:23.580,0:34:30.870 微笑み答えた。「それは違います。悲しみを十分感じ、 0:34:30.870,0:34:38.000 深く体験しました。その瞬間の真実を尊重しました。 0:34:38.000,0:34:44.860 そして空を渡る雲のように、悲しみは通り過ぎました。 0:34:45.380,0:34:54.780 でも空は、私の広大な存在は不変でした。」 0:35:02.810,0:35:08.580 私の覚醒は大学院時代に始まりました。 0:35:08.580,0:35:16.350 一連の経験が人生の目的や意味について考える 0:35:16.350,0:35:26.400 きっかけを与えてくれました。やること全て 0:35:26.400,0:35:34.859 に何の意味があるのか​​。その経験は何もせずに 0:35:34.859,0:35:45.439 ただ気付くというものでした。強い圧力が解かれた 0:35:45.439,0:35:54.228 ような大きな解放感があり、リラックスや爽快さ 0:35:54.228,0:35:59.350 があり、ただ存在したことだけ覚えています。 0:35:59.350,0:36:04.630 何でもいいから、ただ存在したい。私にとって 0:36:04.630,0:36:11.790 大きな変化でした。まるで裏返しになったような、 0:36:11.790,0:36:18.460 物事を見たり経験したり、人を見たり、人と 0:36:18.460,0:36:28.270 接したり・・・。何をしても、何を言っても 0:36:28.270,0:36:34.620 それは単に意識の表現でした。私が表現 0:36:34.620,0:36:41.820 されている実感、いつ何を言っても、何を 0:36:41.820,0:36:47.630 しても意識が存在するだけで、それは今も 0:36:47.630,0:36:53.510 変わりません。その後も本質を明かし続け、 0:36:53.510,0:37:00.750 まるで思考が流れるのが見え、必要な行動が 0:37:00.750,0:37:06.880 あれば、体がその行動を演じるだけでした。 0:37:06.880,0:37:12.045 以前のように何かを考え、「これをやらなければ」 0:37:12.045,0:37:18.236 と思い、「私」がそれを実行するのとは違いました。 0:37:18.236,0:37:24.612 それとは違い、ただ存在するようになりました。動き 0:37:24.612,0:37:30.192 が生じ、体が道具であり、私がそれをリアルタイム 0:37:30.192,0:37:35.662 で観察したのです。体は単に意識内に生じた行動をし、 0:37:35.662,0:37:41.642 私は参加者であり観察者です。それが一番いい所です。 0:37:41.642,0:37:47.580 意識は選択せず、真我は選択を超越しています。 0:37:47.580,0:37:54.213 それを聞いて、「じゃあすべてを捨て、何も選ばずに 0:37:54.213,0:37:58.839 洞窟にこもります」と言う人もいるでしょう。実際に 0:37:58.839,0:38:04.480 そうした人もいます。でもそれも結局は、条件付け 0:38:04.480,0:38:12.620 られた精神が、選択や欲望を抑制するチョイスです。 0:38:12.620,0:38:18.590 選ぶも選ばないも、条件付けされた精神のチョイス 0:38:18.590,0:38:24.280 ですが、その精神を意識するのは誰か、または何か? 0:38:24.280,0:38:30.960 目覚めた後も、条件付けられた自分は好みのお茶 0:38:30.960,0:38:35.280 を選んだり、体に良い食べ物を選んだりします。 0:38:35.280,0:38:41.900 選ぶことをやめるのでなく、常に選び続けますが、 0:38:41.900,0:38:47.790 それに「私」がからんでいない点が違います。 0:38:47.790,0:38:53.400 「私」という思考がなくなっただけです。「私」が 0:38:53.400,0:38:59.590 選ぶのでもなく、選ぶのをやめるのでもありません。 0:39:03.240,0:39:09.880 覚醒とは自我の透明な壁、よろいを破壊し、万物との 0:39:09.880,0:39:14.660 同一性に気付くことです。それは素晴らしく、自分が 0:39:14.660,0:39:21.780 怒りや痛み、悲しみに苦しんでいたのでなく、生命を 0:39:21.780,0:39:26.570 拒絶することで苦しんでいたことを発見し、解放的 0:39:26.570,0:39:32.590 になることであるがままの生命と一つになれます。 0:39:32.590,0:39:37.480 苦しむよりは心地よくいたいと思うのは人間として 0:39:37.480,0:39:52.330 当然で、人類みな苦しみよりは心地よさを選びます。 0:39:52.330,0:40:00.250 そして意識することが心地よいと察したとき、 0:40:00.250,0:40:06.787 それが一般の人間の脳に記録されます。「これは 0:40:06.787,0:40:11.960 いい、可能なんだ。」という思考が強化されます。 0:40:11.960,0:40:17.754 段階的に徐々に覚醒することもあれば、夢から覚める 0:40:17.754,0:40:24.587 ように、突然自分が誰だか悟る場合もあります。 0:40:24.587,0:40:30.130 夢の中の役者として一生眠ってきたかのように。 0:40:30.130,0:40:34.918 目覚めたままでいるには自我構造を常に浄化する 0:40:34.918,0:40:43.393 必要があります。完全に覚醒しても警戒が必要で、 0:40:43.393,0:40:51.030 無意識の思考が生じても平静でいることです。 0:40:51.030,0:40:56.560 でないと無意識の精神が真実を隠すかもしれません。 0:40:56.560,0:41:02.110 無意識が透明になる必要があります。無意識内の 0:41:02.110,0:41:08.240 ものに直面しなければ、スピリチュアルバイパス 0:41:08.240,0:41:15.373 を経験します。これは困難な感情、未解決の心理的 0:41:15.373,0:41:25.466 問題や生活苦を避けるため、自分は覚醒していると 0:41:25.466,0:41:32.653 主張することです。自我的な精神は目覚めの兆し 0:41:32.653,0:41:37.580 を占有し、その真実に生きることを妨害します。 0:41:37.580,0:41:42.230 ベッドに座りながら翌日に受けるマンモグラム 0:41:42.230,0:41:47.760 のことを考えていました。毎年、極端な不安が 0:41:47.760,0:42:00.030 生じるので、怖がること、死を怖がるのがもう 0:42:00.030,0:42:10.920 嫌でした。そうしたら突然、「明日は怖がらずに 0:42:10.920,0:42:21.520 やれないの?」という考え、単なる考えが生じ、 0:42:21.520,0:42:30.750 突然、「できる」という認識が沸き上がりました。 0:42:33.880,0:42:40.440 なぜかわかりません。何が変わったのかわかり 0:42:40.440,0:42:45.240 ませんが、明らかに何かが変わりました。 0:42:45.240,0:42:51.440 驚いて、今まで何年間も感じてきた恐怖が 0:42:51.440,0:42:58.950 変わるのを認識しました。マンモグラムが 0:42:58.950,0:43:04.390 正常で、乳がんが発見されない安心感では 0:43:04.390,0:43:12.530 ありません。とても奇妙でした。起き上がって 0:43:12.530,0:43:18.660 パソコンを打っていたパートナーのドアの前で 0:43:18.660,0:43:24.610 立っていたら私の存在に気付き、「何?」と聞く 0:43:24.610,0:43:33.736 ので、「今、何かが起きた」と言い、説明しました。 0:43:33.736,0:43:41.070 次第に分かったのは、恐怖に動揺しなくなっただけ 0:43:41.070,0:43:50.492 でなく、平和になり継続的なストレスも消えました。 0:43:50.492,0:43:57.950 精神が制止しました。外面は以前と基本的には 0:43:57.950,0:44:03.550 同じで、覚醒だと知るのに何か月もかかりました。 0:44:03.550,0:44:10.324 長かったです。苦しみが消えた事だけ覚えています。 0:44:10.324,0:44:16.870 精神が静かになり、それ以来ずっとそのままです。 0:44:17.720,0:44:24.561 覚醒自体の記憶はあり得ず、経験と現象の記憶 0:44:24.561,0:44:30.960 だけです。記憶があれば、精神に抵抗の痕跡が 0:44:30.960,0:44:37.050 残ります。この痕跡が最初の繰り返しで、「私」 0:44:37.050,0:44:45.384 の始まりです。覚醒自体は経験ではないので、精神 0:44:45.384,0:44:52.380 に痕跡を残しません。原初の意識は記憶や精神の 0:44:52.380,0:44:58.780 フィルターなく今に目覚めます。何らかの状態や 0:44:58.780,0:45:05.470 経験を追い、そこで生きようとすれば逃します。 0:45:05.470,0:45:11.870 現れては消え、今ないものは本質とは言えません。 0:45:16.130,0:45:26.290 精神を介さずに、直接本質を探ってみましょう。 0:45:26.290,0:45:33.470 精神を超えたものは精神を介して認識できません。 0:45:33.470,0:45:40.180 内側に意識を向け今を意識してください。意識 0:45:40.180,0:45:47.584 自体を意識します。ここで起きる思考、感覚、 0:45:47.584,0:45:58.530 感情だけでなくその広大さも感じてください。 0:45:58.530,0:46:05.700 思考、記憶、感情、エネルギーの現象が無意識 0:46:05.700,0:46:11.290 から湧き上がることがあり、これは自然な浄化 0:46:11.290,0:46:19.300 過程です。沸き上がるものに心を開いてください。 0:46:19.300,0:46:24.403 概念的な詳細による制限から解放された、 0:46:24.403,0:46:30.480 精神の自然な状態にとどまってください。 0:46:36.010,0:46:45.370 僕の覚醒は2つの違った行動から生じました。 0:46:45.370,0:46:53.319 最初の変化は苦しみ、深い苦しみから生じ、 0:46:53.319,0:46:58.150 思考から来ているのがわかりました。 0:46:58.150,0:47:02.500 僕の考え方、世界や自分自身のとらえ方 0:47:02.500,0:47:10.330 から来ていました。それから思考の本質や 0:47:10.330,0:47:15.280 最も重要な思考者を直接的に調査しました。 0:47:15.280,0:47:19.500 思考に縛られている者の本質です。 0:47:19.500,0:47:26.800 その調査により、思考者という感覚が溶け、それ 0:47:26.800,0:47:34.900 と共に僕のすべての思考が無意味になりました。 0:47:34.900,0:47:40.100 知らなかったのは、それが起きると、純粋な、 0:47:40.100,0:47:47.400 無限な意識を経験することです。非常に平和で 0:47:47.400,0:47:54.680 苦しみを癒すものでした。それが目覚めの最初の 0:47:54.680,0:48:03.970 部分です。その時に経験した明晰さや平安よりも 0:48:03.970,0:48:10.110 更に深い経験があるとは想像もつきませんでした。 0:48:10.110,0:48:17.140 最初の兆候から数日間、その深い解放的で驚く 0:48:17.140,0:48:26.020 べき経験が、人間の次元を超えた、自分や世界と 0:48:26.020,0:48:34.960 信じ込んでいたいかなる形式の限界をも超えた、 0:48:34.960,0:48:38.637 何かへと開かれました。 0:48:38.637,0:48:44.357 それらがすべて解体され、残されたものは 0:48:44.357,0:48:49.850 言葉で表現するのは非常に難しいですが、 0:48:49.850,0:48:56.340 心の準備ができ自分で調査することに興味が 0:48:56.340,0:49:01.470 ある人なら、この本や、他の興味ある人との 0:49:01.470,0:49:05.410 直接的な交流により、明かすことができます。 0:49:07.000,0:49:12.750 精神や、マトリックスや、あなたが誰なのかは 0:49:12.750,0:49:18.810 誰も教えられません。計り知れず、言葉で表現でき 0:49:18.810,0:49:25.396 ないものを知るには、極めて静かで動きのない精神 0:49:25.396,0:49:32.230 が必要です。深い静寂と沈黙から、時を超え永遠で 0:49:32.230,0:49:39.600 計り知れないものに遭遇する可能性があります。 0:49:40.480,0:49:48.597 隠喩を使うと、覚醒は頭が、自我の頭が生命から 0:49:48.597,0:49:55.204 切断された状態です。自分が精神や体でないこと 0:49:55.204,0:50:01.640 が明確になりました。精神や体の中には存在 0:50:01.640,0:50:06.870 しませんが、生命から切断された頭は坂を転がり 0:50:06.870,0:50:12.728 落ちます。気を配らなくなった古いパターンや 0:50:12.728,0:50:17.887 計画や視点を乗せて転がり落ちます。それらが 0:50:17.887,0:50:22.280 展開されるのをしっかりと目撃します。 0:50:22.280,0:50:26.284 それらに参加しませんが、まだ続いています。 0:50:26.284,0:50:32.493 転がる頭は、そのうちに止まります。古い 0:50:32.493,0:50:37.950 カルマはもう作動せず、もはや解決すべき 0:50:37.950,0:50:42.540 パターンも残っていません。全部消えました。 0:50:42.540,0:50:45.390 これがモクシャです。解脱です。 0:50:46.440,0:50:56.993 最近よく見るのは、生命を肉体に宿る人として 0:50:56.993,0:51:10.550 でなく、時には行為だけあるが行う者がいない、 0:51:10.550,0:51:17.474 平和で静かな観察過程という漸進的な解放です。 0:51:17.474,0:51:23.414 犬が吠えたら、それは静けさの中の吠える音。 0:51:23.414,0:51:31.584 誰かや私の体が歩くのは、誰々なしで歩くこと。 0:51:31.584,0:51:37.646 それに伴い、今まで時々経験した内的対話が 0:51:37.646,0:51:44.176 静まりました。人間だという感覚から脱出する 0:51:44.176,0:51:50.026 ことが次第に頻繁になりました。 0:51:50.026,0:51:56.708 そんな中、今まで信じてきたこと、やってきた 0:51:56.708,0:52:02.354 ことの意味が変わってきました。人生は不公平 0:52:02.354,0:52:10.380 だ、困難だと思ったり、変化を祈る代わりに、 0:52:10.380,0:52:22.050 より高い目的を果たし、より心を開き、より生命 0:52:22.050,0:52:28.241 に参加させるものとして見るようになりました。 0:52:28.241,0:52:34.700 事故や失敗、嫌いと思っていたものは悪くはなく、 0:52:34.700,0:52:40.960 自分を苦しめるものでもなく、触れたことのない 0:52:40.960,0:52:46.180 深い真実を明かすものと考えるようになりました。 0:52:46.180,0:52:50.620 全ての祈りが「アーメン、為せば成る」になり、 0:52:50.620,0:52:59.900 全ての願いが、何か拒否している点や、生命の展開 0:52:59.900,0:53:07.000 を否定することで生じる苦しみが見えますように 0:53:07.000,0:53:13.700 という願いでした。解放があり、より生命に解放的 0:53:13.700,0:53:19.280 になるにつれ、意識的な目撃が増えました。 0:53:19.280,0:53:27.310 覚醒は解放のほんの始まりで、終わりがありません。 0:53:27.310,0:53:46.190 解放されればされるほど、まだ困難や、収縮や、 0:53:46.190,0:53:58.017 恐怖だと思うことが、より高次の愛や、平和や、 0:53:58.017,0:54:04.380 思いやりへのトランポリンであるのを実感します。 0:54:04.380,0:54:12.419 みな、まさかと思う人も含めみな、その中にいます。 0:54:15.680,0:54:19.750 意識が存在することは明らかに認識できます。 0:54:19.750,0:54:25.320 それ以外はすべて推測です。よい推測であって 0:54:25.320,0:54:31.850 も推測です。意識は理論以前の、自然界唯一の 0:54:31.850,0:54:37.192 事実です。それ以外は全て意識内に生じる理論的 0:54:37.192,0:54:41.584 抽象概念です。意識だけが自然の公理であり、 0:54:41.584,0:54:47.914 唯一確実なものです。推測や、物理学・意識の 0:54:47.914,0:54:54.434 神経学の経験的証拠に基づけば、意識が基本で 0:54:54.434,0:55:00.924 ないことは、私は極めてあり得ないと主張します。 0:55:00.924,0:55:05.924 意識を二次的または付随現象と考えると、様々な 0:55:05.924,0:55:10.360 解決不可能な問題が生じます。従って意識を自然界 0:55:10.360,0:55:14.404 の基本構成要素の少なくとも 1 つとして見るのは 0:55:14.404,0:55:19.534 大変合理的かつ経験的な理由があります。物理学は 0:55:19.534,0:55:24.454 基本的に知覚の科学です。世のパターンや規則性を 0:55:24.454,0:55:29.660 説明するもので、知覚を超越するものではありません。 0:55:29.660,0:55:34.873 物理学者が望遠鏡、顕微鏡、オシロスコープや他の 0:55:34.873,0:55:40.210 機器を使ったとしても、出力を知覚する必要があり 0:55:40.210,0:55:44.558 ます。つまり物理学におけるすべてのものは知覚と 0:55:44.558,0:55:50.120 いう枠組みにフィルターされます。物理学は知覚の 0:55:50.120,0:55:56.490 科学です。物質や物質性は単に私たちが知覚する 0:55:56.490,0:56:03.146 世界の別の呼び名で、知覚の中身にすぎず、根本的 0:56:03.146,0:56:07.936 に物質を超えたものを見ようとしません。生命は 0:56:07.936,0:56:13.714 それ自体を知るための機器です。理解したいもの 0:56:13.714,0:56:23.210 から自分を切り離すのでなく注意深く観察します。 0:56:23.210,0:56:27.600 ニュアンスを捉えようとします。「これは何? 0:56:27.600,0:56:31.780 なぜ起きるの?意味は何?」などと自問します。 0:56:31.780,0:56:36.679 人生は本を読み解釈するようなものです。ただ、 0:56:36.679,0:56:41.589 苦しみを減らすことに夢中になり、解釈の鍵と 0:56:41.589,0:56:47.061 なる本を読むことや集中することを忘れます。 0:56:47.061,0:56:52.420 人生の本を解釈すれば自動的に苦しまずに済む 0:56:52.420,0:56:57.639 のに、目を開けて集中しなければ解釈できません。 0:56:57.639,0:57:01.394 生命はそれ自体を知るための機器です。 0:57:01.610,0:57:10.766 偉大な宗教や精神的な伝統はみな、万人の中に 0:57:10.766,0:57:18.654 輝く無限で分割不可能な現実があり、それが「私」 0:57:18.654,0:57:27.809 の経験や世界として現れる理解に基づいています。 0:57:28.310,0:57:36.800 いわば万物の裏に存在の海があり、いかなるものも 0:57:36.800,0:57:48.149 そこから発生し、生き、そこに消え去って行きます。 0:57:48.149,0:57:53.369 これがまさにすべての偉大な宗教的伝統の 0:57:53.369,0:57:57.729 根本原理であり、存在の統一性の認識です。 0:57:57.729,0:58:02.669 ヘルメスの第一原理は、「すべては精神であり、 0:58:02.669,0:58:08.509 宇宙は精神的である」ことです。どこを見てもその 0:58:08.509,0:58:14.742 一つの精神がある。ルーミー曰く、「どこを見ても 0:58:14.742,0:58:21.129 神の顔がある。」ミクロの世界もマクロの大宇宙も 0:58:21.129,0:58:28.829 精神は一つ。これは人間のニューロンの画像で、 0:58:28.829,0:58:35.399 これは宇宙の暗黒物質の分布を想定した画像です。 0:58:35.399,0:58:41.359 ミレニアムランはマックスプランク研究所が作成した 0:58:41.359,0:58:48.226 宇宙の暗黒物質の分布や進化のシミュレーション 0:58:48.226,0:58:55.736 です。暗黒物質は、相互接続された繊維や節の広大 0:58:55.736,0:59:00.976 な巣を形成し、人間の脳のニューロンや神経経路に 0:59:00.976,0:59:07.196 そっくりです。同じ模様が自然界全体に偏在します。 0:59:07.196,0:59:13.006 これをワンマインド、神、全てと呼ぶことができます。 0:59:15.886,0:59:24.796 神は世界を超え、世界に先立つ外的存在では 0:59:24.796,0:59:30.476 ありません。私たち一人一人の中に輝く「私」 0:59:30.476,0:59:39.219 の知識であり、世界として現れる存在です。 0:59:39.219,0:59:45.696 宗教的な言い方をすると、世界は神の言葉ロゴスの 0:59:45.696,0:59:55.246 現れであり、私たちは神の精神内の局部的精神です。 0:59:56.850,1:00:01.327 では主観的で普遍的なフィールド、普遍的な意識が 1:00:01.327,1:00:05.249 なぜ多数あるように見えるのか。私はあなたの考えを 1:00:05.249,1:00:09.167 読めませんし、あなたも恐らく私の考えを読めません。 1:00:09.167,1:00:14.320 アンドロメダ銀河や中国の状況さえわからず、自然全体 1:00:14.320,1:00:23.843 を経験しないのに、一つの精神がなぜ多数に見えるのか。 1:00:23.843,1:00:31.150 精神医学では解離と呼ばれる自然過程があります。 1:00:31.150,1:00:38.708 1 つの精神が複数の意識に分裂するように見える現象 1:00:38.708,1:00:45.230 です。神経画像で人間がこれを経験する決定的な 1:00:45.230,1:00:51.872 証拠があり、現在意識の神経科学における主要理論 1:00:51.872,1:00:58.450 である、統合情報理論に基づく解離の明確な概念的 1:00:58.450,1:01:03.190 説明が成立しつつあると思います。 1:01:03.480,1:01:08.000 解離境界が形成されると、その境界の向こう側の 1:01:08.000,1:01:12.238 ものは知覚を通してしか見ることができません。 1:01:12.238,1:01:16.482 知覚するのは物質・物質性です。言い換えれば、 1:01:16.482,1:01:23.130 物質・物質性は、解離境界の向こう側で起きる 1:01:23.130,1:01:30.250 意識的な過程の意識的な出現です。これらの過程 1:01:30.250,1:01:36.530 を現代理論で説明するか五蘊のような形で説明する 1:01:36.530,1:01:41.490 かは大切でなく、大切なのは通常無意識の過程に 1:01:41.490,1:01:48.219 意識を向けることです。それにより自己構造内の 1:01:48.219,1:01:55.522 抵抗が消え、「私」の無意識的な動作が消えます。 1:01:56.032,1:02:01.882 自分は肉体だと知覚したり、体感を知覚したり、 1:02:01.882,1:02:07.320 物体や物事を概念化したり、それらを認識したり 1:02:07.320,1:02:12.602 好みを持ったり、すべてを見ている目撃者がいる 1:02:12.602,1:02:17.372 と感じたり、これらすべての精神プロセスは自己 1:02:17.372,1:02:22.932 のいない空虚なものだと気付くことです。現象から 1:02:22.932,1:02:29.252 自分を切り離してあるがままに受け入れることです。 1:02:29.252,1:02:38.404 生命に背を向けるのでなく、生命と親密になることです。 1:02:41.510,1:02:47.870 意識が根本的で物質性に先立つという僕の理解は、 1:02:47.870,1:02:53.430 長年にわたり、この世に生きる人間としての意味を 1:02:53.430,1:02:59.640 根本的に変えてきました。僕の変化はゆっくりでした。 1:02:59.640,1:03:04.780 最初は頭の中での概念的な理解だけでしたが、 1:03:04.780,1:03:09.638 それが体に染み込んで感情や気持ちを調整し、 1:03:09.638,1:03:15.340 すべてが変わりました。充実した人生の意味、 1:03:15.340,1:03:24.685 目指すべき目標、自己認識、他の生物との関係など 1:03:24.685,1:03:31.365 すべてが変わります。地位、権力、お金といった 1:03:31.365,1:03:35.785 個人的な目標は消え去りました。僕の人生は今まで 1:03:35.785,1:03:40.274 もこれからも、自分でなく自然のためのものであり、 1:03:40.274,1:03:44.535 自分は自然の単なる一つの地域的顕現にすぎない 1:03:44.535,1:03:49.445 という認識は、個人的目標を達成しようとして 1:03:49.445,1:03:54.267 生じる不安や、その目標を達成できなかったとき 1:03:54.267,1:03:58.455 に生じる失望感から大きく解放してくれます。 1:03:58.455,1:04:03.095 それらはすべて消えました。今は自然界に奉仕して 1:04:03.095,1:04:07.875 生きています。自然界が僕を通してしたいことに心を 1:04:07.875,1:04:12.945 開くので、奴隷の如く奉仕に縛られるように聞こえる 1:04:12.945,1:04:17.475 かもしれませんが、そうではなく、自分を個人的に幸せ 1:04:17.475,1:04:22.386 にしようという抑圧的で圧倒的な責任から逃れた気分 1:04:22.386,1:04:27.006 です。自分の人生なら幸せになる責任は自分にある 1:04:27.006,1:04:31.680 というのは、人間の最も抑圧的な考えです。失敗を 1:04:31.680,1:04:35.710 すれば自分の責任だと後悔し始めます。それはもう 1:04:35.710,1:04:41.580 消えました。僕の人生で一つ変わったことです。真実 1:04:41.580,1:04:50.440 を深く理解するのは共感、相互尊重、非利己的な目標 1:04:50.440,1:04:57.216 や、中毒性の低い行動パターンに直接繋がります。 1:04:57.216,1:05:04.876 人類の理解がもっと深くなり、それがもっと広まれば、 1:05:04.876,1:05:08.270 生命がよくなることは間違いありません。 1:05:09.830,1:05:16.898 世の諸問題の解決策は、自己利益のみのために行動 1:05:16.898,1:05:21.580 する自我が問題の根元だと認知することです。自我が 1:05:21.580,1:05:27.420 政治、宗教、経済、教育など、何に参加しようが、 1:05:27.420,1:05:32.880 「自分」という別個の存在があるという間違った 1:05:32.880,1:05:40.300 前提で行動する限り、苦しみと分離は永続します。 1:05:40.300,1:05:45.861 人類にとって今唯一の解決策は目覚めることです。 1:05:50.411,1:05:57.100 仏教では、自己がもう別個のものでもなく、かつ 1:05:57.100,1:06:03.260 自己以外の何者でもなくなることが涅槃であり、 1:06:03.260,1:06:11.930 それが自己中心的な活動、妄想、夢の停止であり 1:06:11.930,1:06:17.832 人生という夢の中の役者からの目覚めです。聖書 1:06:17.832,1:06:24.522 には「言は肉体となり、私たちのうちに宿った」と 1:06:24.522,1:06:30.403 記されており、言はよく、「永遠」「真実」「直接の 1:06:30.403,1:06:38.593 啓示」など深い意味を持つ古代の言葉ロゴスと訳され 1:06:38.593,1:06:46.573 ます。ロゴス、キリスト意識、または仏性を通して、 1:06:46.573,1:06:51.163 神の精神が明かされると言えるでしょう。