親 は会社の重役何不自由ない暮らし普通に 無難にこれが一番 皮肉なことに 活力のない人間を生むん です想像力のない人間を育ててしまうん です何不自由ないということは実は本当に 幸せなんだろうかということを多くの方々 の 恵まれた家庭で育ったそして自分を 山中さんのように感じているという人たち からの多くの相談を 見て 何不自由ないということは本当に幸せなん だろうか 改めて思います [音楽] ペンネーム山中さん30代の男性から届い た相談です 初めましていつもYouTubeを拝見し ております人生のヒントとなるお話を共有 いただきありがとうございます私は今年で 37歳になる独身男性です 悩みとしましては一言で言えば無気力に 苛まれていることにありますうつ病など 近年生じたものではなく 幼少期から似た症状を抱えてこれまで生き てきたと思っております家庭環境は恵まれ ており4人家族の長男として不自由なく 育てられました 父が仕事人間で能力を買われて役員まで 上り詰めることができ 十分な収入の中食べ物や生活に困ることが なく中学から大学までは私立に行かせて もらいました現在は新卒で就職した企業で 働き続けており今に至ります私はこれまで の人生を通して無感情に過ごしてきた実感 があり高校生くらいまではそれは当たり前 に生きてきましたが大学生からやりたい ことに向き合った際に答えが出ずに 悩み始めそもそも自分好き嫌いが何も 浮かばないことに違和感を感じるように なりました 特徴的なものとしては今も覚えていること が一つあり小学校の時に書く 将来の夢について私は明確な願望を抱いた ことがなく普通のお婿さんと回答したこと を 担任の先生に心配されたことをよく覚えて いますいわゆるアダルトチルドレンと呼ば れるものに近いと考えており良い子で あろうとしたために自分を押し殺して生き てきたのだと思います 母の影響が非常に強く言われたことを絶対 と体が本能的に反応している自覚があり ます 素の自分の声に耳を傾け本来の自分らしく 生きるようを変えたいのですがこれまで 染みついた感覚から離れることへの恐れも あるのかもうこの歳でやりたいことをやっ てもというどこか諦め癖がついている一方 でやはり感情豊かに生きたいという気持ち が行き来していますよく人の長所短所は コインの裏表と言われますが心から没頭 できる趣味も少なく 興味や関心を抱くことなく生きてきたこと に長所を感じることができませんまた見た 目やスタイルは人より良いという自覚が ありますが女性との恋愛経験や体の交わり もゼロに等しくなぜこれまでそういうもの に願望や憧れを抱かなかったのかと言わ れると自分でもはてなですが 根底には自信のなさがあるのだと思います 他の方と比べれば 逼迫した病や生活環境ではなく自分自身 甘えているという認識もありますがこれ 以上自分を 貶めたくないし本来自分の声を聞き自分 自身をもっと明るくしてやりたいという 思いもありますあまりにも頭で考えすぎて しまい心が追いついていないので今は ゆっくり行き日々目の前に触れようとする 意識を持つことを心がけています 執着を手放すこと今に目を向けることなど 頭で 浮かぶことを徐々に心と対話しながら生活 していますが プライベートや仕事においてもプラスの 影響を感じることは少なく今の時点でこの 文章をお読みいただいて 逮捕書かどう思われるか機会がありまし たらご助言いただけると幸いです 仏教には2600年の歴史があります 正しくは2600年までないのかもしれ ませんでも いろいろな説がありますが2600年近い 歴史があります この歴史の中で 仏教は インドから始まり 中国 そして 韓国日本にも 伝わってきました また 仏教はこの 中央アジアを通って中国に入りそして 日本にまで伝わってきたというルートとは 別にチベットに入ったというルートと それからインドの地図で言うとこの右下 ですねスリランカという国を経てそして アジアの方に東南アジアの方に広がって いった タイとかミャンマーとか そして同じ仏教なんですけれども その 仏教の姿というのは様々に宗派に分かれ たり特に日本ではいろんな宗派に分かれ たりして どんどん変容していったんです でも このインドから日本そして世界の 仏教が広がっているところに いろいろな宗派が出たり お釈迦様はお亡くなりになった後に様々な 経典がまた 付け加えて書かれたり そうやって 文化的な違いみたいなものがどんどん 生まれてはきたんですけどもでも共通する ものってのは実はあるんですよ インドにおいてもチベットにおいても中国 においても日本においてもその他タイに おいても共通する ものがあるんですそれは何かという と山です 例えば療術線 お釈迦様は 古代インドのマガダ国という国があったん ですけどこの マガダ国の首都という場所なんですけど この 東北にあった山 良線と呼ばれている山なんですけど その山に 登ってそして その 山で弟子たちに教えを説いたそのような話 が残っていたりします チベット山ですねかなり険しい山です 中国も 山に行くと 山寺があります 日本もそうです 京都みたいに 街の中にできているという山もありますが その地域の小高い山の上にあるいは奥深い 山に特に禅寺なんかは作られました 巨大から 修行僧は山に入ったんですね その山の 規模が 程度がどこまで奥深いかどうかは別として 俺仏教に限らず 神社にしても 修験道の 修行者にしても 必ず山に登るとそこに社があったり お寺があったり仏様が祀られていたりし ますね日本どこ行ってもそうです なぜ人は山に登るのか 実はこの山に 登ると 自然の厳しさ そして 山に登ると 命の 根幹が刺激をされるからなんですね 自然の 厳しさ これは命にとってものすごく大きな 叱咤になり 癒しになり 力になり 救いになるん ですだから人々は あんなに 疲れてまで あんなに 頭が痛いと思いを知っても 山の頂きを目指して 登るんですそして登り続けてきたんですね 私もよく山に登りました 自分自身を見失った時 どうしようもなく 行き詰まった時 突然思いついて 仕事が終わってから 富士山に登ったこともあります 朝 仕事が終わってから 夜のうちに 荷造りをしてそのまま 富士山の麓まで バイクで走って行って 仮眠をとって 富士山に登って 帰って くるみたいなことを 若い時はしてました 改めてある年になって そうかだから修行者は山に登ったんだ 理屈じゃないんですね 人間の本能 命の 根源を刺激する そこに活力を与え 勇気を与え 大変なんですけどあの山に登り上り上りし てそして 降りてくるただそれだけのことなのに 自分の中から その筋肉から 心から 根拠のないエネルギー自信みたいなものが もう1回頑張ってみようっていうような ものが自分の中に湧いてくるんです さて 山中さんからの 相談なんですけど 山中さんの問題は何かというと 山中これが本名なのかペンネームなのか 分かりませんけれど も山中に生きてないんです よ街中しかも非常に恵まれた何不自由ない 生活をこれまでずっとしてこられた 実はこういう家庭の多くに今の山中さんの ような 嘆きを持って育つ子供達っていうのが 意外とあるん です親は 会社の条約何不自由ない暮らし普通に無難 にこれが一番 皮肉なことに 活力のない人間を生むんです 想像力のない人間を育ててしまうん です何不自由ないということは実は本当に 幸せなんだろうかということを多くの方々 の 恵まれた家庭で育ったそして自分を 山中さんのように感じているという人たち からの多くの質問を 相談を 見て 何不自由ないということは本当に幸せなん だろうか 改めて思います なのでお弟子さんたちがお寺に来るとです ね いろいろなことこれまで皆さんのね生活 からしてみたらいろんな足りないこととか なんか そうなんです足りないことがいっぱいある だろうと 満足な状況じゃないことがいっぱいあると でもねこれが人間にとってすごく重要なん だって話をするん です会社でもそうですね ベンチャーの時には何もないところから スタートするんですだんだんだんだん会社 が儲かるようになっていろんなものが会社 の社内の中でそのビルの中でもう遊園地 みたいな会社もありますよ イノベーションそういう会社から イノベーション生まれなくなっていくん です 空調が整い食べるものもふんだにあり 全て恵まれると人間というのは そこに頭を使うということしなくなって いくのかもしれませんね 環境さえ整えたならば すべての人たちの能力やパフォーマンスが 上がっていくんだったら 日本のサッカーチームなんか党の昔に世界 の頂点に行ってるでしょうでも日本よりも はるかに 貧しい環境の整っていない 環境で 練習をしてきた例えばサッカーの選手 ブラジルの選手とか南米の選手とか 強い選手いっぱいいますよね 小さい時からスポーツクラブに入って そしてプロがバックについているような 経営をしているようなそういうジュニア チームに入って世界に出て勝てないんです よそれなぜか 環境は整いすぎると人は その人に悪気があるわけじゃないんです 整えすぎた環境の中で人が育つとねその 人間の野生を人間の本能 を人間の本来の力をどこかで牙を抜かれて しまうのかもしれませんね 処方箋です 山中さん 山中に入ってみてください 山に登ってみてください 趣味違います その自分の殻を何かしら 突破していく ヒントが見つかるかどうかなんかどうでも いいんです とにかく山に登ってみてください どんな山でも別に富士山に登るじゃなくて いいですすごい山に登れたなかなか山に 登ったことない人が高い山最初から目指す と ね後悔する雨になります大変なことになり ます そんな 恐れたことじゃなくていいけれど何か 季節のいい時に 安全な対策をして山に登ってみてください 最近熊も出るかもしれません そういうツアーもあります 登山ツアー自分一人じゃなくてもいい ところに参加して そして山に登ってみるんです 高山病になって山小屋でふうふう言うかも しれない 登ってる途中に 普段の運動不足が祟ってひいひい言うかも しれない 山頂までたどり着けないかもしれないそれ でもいいんです とにかく山に登って降りてくるってことし てみてください山中に入ってみてください 理屈じゃないんです大自然はいろんなこと を私たちに教えてくれます最初は何も感じ ないかもしれないただ偉かっただけそれで もいいでも徐々に徐々にその 麻痺した 遮断された感覚 それを 山が開いてくれるん ですここの東西人々は 迷うと山に登りました なぜならば山にはそのような力があるから です ぜひ山中さん 山の中へ 自分の足で 足を踏み入れてみてください と 私が何か気の利いた説法するよりも 何かしら 素敵に思える言葉を 投げかけるよりも 大きな大きな リハビリになり 突破口になり エネルギーを自分の内側から感じるという 体験を体感をすることができると思います 応援しています