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サマーディ(三昧)は
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古代のサンスクリット語で
現代には似た言葉はありません
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サマーディの動画をつくるには
根本的な難しさがあります
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サマーディは マインドのレベルで伝えられない
あるものを示すのです
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この動画は 私自身の内なる旅を
ただ外に表現しているだけで
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サマーディについて教えようとか マインドに
情報を提供しようとかいうつもりはなく
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あなたが直接 自分の本質を発見するよう
インスピレーションを与えたいと思います
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サマーディは今
かつてなかったほど重要です
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私たちはサマーディを忘れただけでなく
何を忘れたのか思い出せないという
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歴史の一点に立っています
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この忘却はマーヤーといい
自己の幻影を指します
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人間として 私たちは大抵 日々に追われ
自分が誰なのか
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何故ここにいるのか どこへ行くのか
ほとんど考えもしません
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大抵の人は真の自己 つまり魂あるいは
ブッダが「無我」と呼んだもの
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名や形を超越し 思考を超越したものを
悟ったことはありません
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その結果 自分は
この限られた肉体であると信じています
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意識的 無意識的に関わらず
私たちが自分として認識している
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この限られた自己構造は死ぬのだと
私たちは怖れながら生きています
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今日の世界では
宗教や ヨガ、祈り、瞑想、読経
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あるいは他の習慣などの
スピリチュアルな修行に携わる大多数が
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条件づけられたテクニックを用います
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つまり自我の構築の一部だということです
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探求したり活動したりは問題ではありません
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外部の形式に答えを見いだしたと考えることが
問題なのです
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一般的な形のスピリチュアリティ―は
どこにでもある病的な考えと
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なんら変わりません
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マインドをさらにかき立てることです
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さらなる人の行為であり
人の存在に関わることではありません
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自我の構築は 金を力を愛を
何もかもを さらに欲しがります
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いわゆるスピリチュアルな道をたどる人は
さらにスピリチュアルに、さらに目覚め、
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さらに落ち着き、平安、覚醒を欲しがります
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この動画を見る危険性は
マインドがサマーディを欲しがるようになることです
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さらに危険なのは
マインドがサマーディを得たと思い込むことです
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何かを得たいと望むときはいつも
エゴの構築が働いていると思って
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間違いありません
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サマーディは自分に何かを得たり
足したりすることではありません
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サマーディを悟るとは自分が死ぬ前に
死を学ぶことです
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生と死は陰陽のようなもので
切り離せない連続体であり
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果てしなく展開し
始まりも終わりもありません
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死を追い払えば 生も追い払います
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自分が誰なのか 真実をじかに体験すれば
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もう生も死も怖くありません
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社会や文化に自分が誰なのか教えられ
同時に私たちは
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奥底に隠れた生理的な欲望と嫌悪に
選択を支配され 奴隷となっています
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エゴの構築は 反復しようとする衝動以外の
何ものでもありません
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単にエネルギーが一度通った道を
また通ろうとする傾向なのです
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その道が生命体に良かろうと悪かろうと
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記憶やマインドには限りないレベルがあり
スパイラルの中にスパイラルが渦巻き
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意識がこのマインドつまりエゴの構築に
同調すると
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私たちを社会条件に結びつけます
それはマトリックスとも呼べるでしょう
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自我には意識できる側面もありますが
無意識や昔の記憶や
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原始体験に基づく恐れが
原動力になって
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快楽を求めたり 苦痛を避けたり
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病的な行動を昇華させたり...仕事や...
人間関係や...
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確信、思考、そして生活全般にわたる
限りないパターンを後通ししているのです
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家畜のように 殆どの人間は無抵抗に服従し
人生をマトリックスに捧げ 生き 死んでゆきます
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狭いパターンに人生をくぎ付けにして生きます
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人生はしばしば大変な苦悩に満ちていますが
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実は 自由になれるのだということに
私たちは全く気がつきません
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過去から引きずってきた人生を振り払って
内なる世界から生まれようとしている
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その人生を生きるのは可能なのです
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私たちはこの世に生理的な条件つきの構造を
持って生まれましたが 自己意識はなく
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よく小さな子供の目をのぞき込むと 自己の
かけらは少しもなく あるのはただ光り輝く空の状態
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意識の上にかぶった仮面へと
人は育っていきます
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シェイクスピア曰く「この世はすべて一つの舞台
人間は男も女も すべて役者にすぎない」
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目覚めた個人においては 意識が人格を通し
仮面を通して輝きます
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あなたが目覚めると 演じる役柄と
同一化することはありません
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自分は 着けている仮面であるとは
思いません
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その役を演じることも やめはしません
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私たちが役柄または
自分のペルソナと同一化するとき
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それはマーヤー つまり自己の幻影です
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サマーディとは 人生の劇の中で演じる役という
夢から覚めることです
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プラトンが『国家』を書いてから240年
たちますが
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人類はいまだに
プラトンの洞窟から抜け出せずにいます
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実際 私たちはかつてなかったほど
幻影にとらわれています
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プラトンはソクラテスに 洞窟で鎖につながれ
一生 岩壁を見て過ごした人々について
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説明させました
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見えるものといえば 彼らの後ろで
焚火の前を通りすぎるものの影が映る
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岩壁だけだったのです
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この人形劇のようなものが
彼らの世界になりました
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ソクラテスによれば
その影は 囚人が現実を見ることに
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最も近いものでした
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外の世界のことを教えられても
囚人は 影たちしかいないのだと
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信じ続けました
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もっと他のものがあるのではと感じても
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自分の見慣れたものを離れるのが
嫌だったのです
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今日の人類は 洞穴の壁に映った影しか
見ていない人々のようです
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影は私たちの思考を例えたものです
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思考の世界は
私たちが知っている唯一の世界ですが
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思考を超えた世界が他にあるのです
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二元性のマインドを越えた世界が
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洞窟を離れ
今まで知っていたものを離れ
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あなたが本当は誰なのか 見つける意志はありますか?
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サマーディを経験するには 注意を陰からそらし
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思考から光へと注意を向ける必要があります
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人が暗闇だけに慣れていたら
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徐々に光に慣れていかなければなりません
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新しい概念になれるときはいつもそうですが
時間と努力を要し
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新しいものを探求し
古いものを脱ぎ捨てる意思を要します
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マインドは 意識にとって罠に あるいは
迷宮か牢獄にたとえられます
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あなたが牢獄にいるのではなく
あなたが牢獄なのです
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牢獄は幻影です
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あなたが幻の自己として認識されるなら
あなたは眠っているのです
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いったん牢獄に気付いて
幻影から抜け出そうと戦えば
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あなたは幻影を現実であるかのように扱い
まだ眠ったままで
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ただ夢が悪夢になっただけです
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永遠に影を追い
影から逃げ続けることになります
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サマーディとは 自分とは別の自己 つまり
自我の構築という夢から覚めることです
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サマーディとは「自分」という牢獄との同一化から
覚めることです
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あなたは実際 自由にはなれません
どこへ行こうと牢獄がありますから
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目覚めはマインドつまりマトリックスを捨てること
ではありません その逆で
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マインドと同一化していなければ
人生の劇をさらに充実して体験でき
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劇を劇として楽しみ
渇望したり怖れたりしなくなります
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古代の教えでは これをリーラの聖なる遊びと呼んでいました
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二元性における遊びです
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人間の意識は連続しています
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極端に言えば
人間は物理的な自己と同一化します
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別の極にサマーディがあり
それは自己が滅することです
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連続の中でサマーディに向けてたどる一歩一歩は
苦しみを和らげます
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苦しみが和らぐとは
人生に苦痛がないという意味ではありません
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サマーディは苦しみと快楽の二元性を超越しています
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それはマインドが 少なくなるという意味であり
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何が起ころうと それに対する自己の抵抗が
少なくなるのです 抵抗が苦しみをもたらすのです
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サマーディに一度でも気づけば
連続の果てに何があるか見えます
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物質的な世界や自己の興味以外に
何かが存在するのを知ることです
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実際 自我の構造が サマーディのうちに滅する時
利己的な考えはなく
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自己も二元性もありませんが
私たるもの あるいは無我や非我はまだ存在します
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その空性の中に智慧の夜明けがあります
つまり生まれようとしている自己は
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二元性の劇をはるかに超え
連続をすべて越えたものと理解するのです
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生まれようとする自己は時間を持たず
変わらず いつでも「今」のままです
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悟りとは 基本原理のスパイラル
常に移ろい現れる世界
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つまり時が開花するロータスと あなたという
永遠の存在が合体することです
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あなたの内なる理解は
自己と同一化しなくなるにつれ
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常に開き続ける花のように育ち 時の世界と
無限との間で生きた架け橋となるのです
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生まれようとしている自己にただ気付くのは
人の道の始まりにすぎません
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大抵の人は瞑想中に何度も
サマーディを経験しては失い それから
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人生の他の局面に
サマーディを取り入れることができます
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瞑想や自問の中で 自己の本質に
深い洞察を得てから
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また古いパターンに逆戻りし
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自分が本当は
誰なのか忘れることは珍しくありません
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静けさ あるいは空性を
人生の全ての面 自己の全ての面で悟るとは
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すべてのものとして踊っている
空性そのものになることです
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静けさは動きから離れたものではありません
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動きの逆ではありません
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サマーディにおいて静けさは動きと同じものとされ
形は空と同じものなのです
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これはマインドにとって空論です
マインドは二元性に入るという事ですから
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ルネ・デカルトは西洋哲学の父で
『我思う、ゆえに我あり』という言葉で
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有名です
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これほどはっきり文明の崩壊と
洞窟の壁に映った影を全面的に認める
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言葉はありません
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デカルトの誤りは
ほぼ全人類の誤りと似ていて
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根本的な存在を 思考と同じだとすることです
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著名な論文の初めに デカルトは
ほぼすべてを疑うことができると書きました
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自分の感覚や思考さえも
疑ってかかることができると
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同じくカーマ・スートラでブッダは言いました
真実を確保するためには
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人はすべての伝統、聖典、教え
また思考や感覚の内容を
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疑わなければならないと
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両者とも懐疑的な姿勢から出発しましたが
違いは デカルトの探求が思考レベルで止まり
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ブッダはさらに深く進んで
マインドの最深レベルを
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突き抜けていったことです
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もしデカルトが思考するマインドを越えて
いったら 自分の本質に気づいたかもしれず
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西洋の意識は今日
全く違っていたかも知れません
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その代わり デカルトは
悪霊が私たちを幻影の中に閉じ込めている
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という可能性を述べていました
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デカルトは悪霊の正体を認識しなかったのです
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マトリックスという映画にあったように
私たちはみな複雑な仕組みにつながれて
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幻の世界をむさぼっているのかも知れません
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映画では 人類は仮想現実の中で
生きていながら 別のレベルでは
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単なるバッテリーで
生命の力をマシンに提供していました
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マシンは人類のエネルギーを
自分たちの計画に利用していたのです
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人はいつも 自分の不幸や世界情勢を
自分以外のせいに
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したがります
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それが他人かグループ、国、宗教にせよ
デカントの悪霊のような 支配欲に満ちた
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啓蒙主義者にせよ マトリックスに登場する
意識を持つマシンにせよ
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皮肉なことに デカントの提唱した悪霊こそ
彼自身を定義するもの
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だったのです
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サマーディを悟ると 支配者がいて
マシンがいて 悪霊がいて
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あなたの人生を日々
搾り取っているのがはっきりします
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そのマシンとは あなたなのです
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自己構造は無数の条件づけられた
下層プログラムというか小さなボスで成り立ち
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あるボスは食物を渇望し
別のボスは金を 地位を パワーを
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セックスを 親密な関係を渇望します
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別のボスは意識を
あるいは他人の注意を欲しがります
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欲求には限りがなく
満足させることはできません
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私たちは時間とエネルギーをたくさん費やして
自分の牢獄を飾りたて 圧力に屈して
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仮面をつけ 小さなボスに食物を与えて
さらにパワフルにしているのです
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麻薬中毒者のように 小さなボスを満足
させようとすればするほど欲求が募るのです
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自由への道は 自己改善でも 自己の目的を
どうにかして満たすことでもなく
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自己の目的をきれいさっぱり
手放すことなのです
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中には 真の自分に目覚めるとは
個性や人生の楽しみを失うことではないかと
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心配する人もいます
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実際はその逆が真実なのです
魂のユニークな個性化は
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条件づけられた自己を乗り越えて
初めて表現できるのです
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鋳型の中で眠っているため
殆どの人は 魂が何を表現したいのか
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発見できずにいます
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サマーディへの道には瞑想がかかわり
それは条件づけられ 変化する自己を観察し
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変わることのないあなたの本質を
悟ることでもあります
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自己の内の動かぬポイント
つまり存在の源に到達したら
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外界をどう変えるべきか主張せず
さらに待ちます
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自己の意志でなく さらに高い意思が成るよう
身を任せるのです
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もしマインドが外界を変えて 道がこうある
べきだというある考えを確認しようとするなら
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鏡に映った影を操作して
鏡のイメージを変えようとする
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ようなものです
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鏡のイメージに微笑ませるには 明らかに
鏡に映った影を操作できません
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鏡の影の本物の源であるあなたに
気づかなければいけません
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いったん本物の自己に気づくと
外界の何かを変える必要があると
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いう意味ではありません
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変わるのは意識であり知性であり
内なるエネルギー つまり生命力なのです
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生命力が条件づけられたパターンから解放され
魂の指示を受けられるようになるのです
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魂の目的に気づけるのは
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条件づけられた自己とその果てしない追及を
見ながら その追及を手放せるときだけです
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ギリシャ神話では 神々がシーシュポスに
無意味な作業を永遠に繰り返すよう
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罰を与えたと伝えられています
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その作業とは岩を山頂へ押し上げるのですが
岩はまた麓へ転がり落ちるのでした
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フランスの実存主義者であり
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ノーベル賞受賞作家 アルベール・カミュは
シーシュポスの境遇を
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人類の比喩と見なしました
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カミュは問いました 「このばかげた存在に
どんな意味を見出せるのか?」
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人類は決して訪れぬ明日を築こうと
果てしなく労苦し
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そして死んでゆきます
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この真実を本当に悟れば
利己的なペルソナと同一化して気が狂うか
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あるいは目覚めて自由になるでしょう
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外の世界でもがいても決してうまく行きません
それは単に私たちの内なる世界を
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反映しているだけですから
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利己的な自我が 無益な追及を通して
目覚めに完全に失敗すると
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宇宙の冗談 状況のばかばかしさが
明らかになります
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禅にはこういう格言があります
「悟りの前は 薪を割り 水を汲み
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悟りの後は 薪を割り 水を汲む」
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悟る前に 人は丘の上へボールを
転がしていかなければなりませんが
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悟った後も ボールを丘の上へ
転がさねばなりません
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何が変わったのでしょう?
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内側の抵抗が現状に変わるのです
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あがきを放棄する というより
あがいていた人が幻影だと
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気づくのです
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個人または個人のマインドが 聖なる意思
またはさらに上のマインドと同調するのです
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サマーディとは究極的に 例外なく
移り変わる現象すべてに対して 内なる抵抗を
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放棄すること
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回りの状況にかかわらず
内なる平安を悟れる人は
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本当のサマーディに至ったのです
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あなたが抵抗をやめるのは
ある事を容認するからではなく
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自由を外側の条件に左右されないようにするためです
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ここで注意するべきなのは 現実をあるがまま
受け入れるとき それは世界で行動を
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起こすのを止めるという意味ではありません
でないと瞑想をする事なかれ主義者になります
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実はその逆が真なのです
動機に駆られて行動しなくてもよくなれば
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道にそって
ある限りのエネルギーを用い
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全力で行動できるようになります
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世界を変えて平和をもたらすためには
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敵と見られるものと戦う必要があると
大勢が議論するでしょう
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平和のために戦うのは 沈黙のために叫ぶ
ようなもので 望まないものをさらに生みます
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最近は色々なことに戦いがあります
テロとの戦い 病気との戦い
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飢えとの戦い
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あらゆる戦いは 実は自己との戦いなのです
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戦いは 集団の妄想の一部なのです
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私たちは平和が欲しいと言いますが
戦争に携わる指導者を選出し続け
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人権を支持すると言いながら
労働搾取工場で作られた製品を
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買い続けます
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クリーンな空気が欲しいと言いますが
汚染し続けます
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科学にがん治療を望みながら
自分を病気に陥れるような
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自滅的な習慣を変えようとしません
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より良い人生を奨励していると
自分を欺いているのです
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苦しみや殺戮を容認している
隠れた自分を見たくないのです
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がんや飢え、テロまたは 何であれ自分の考えや行動からできた敵との戦いに勝てるという
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思い込みは 実は
地球における暮らし方を変えなくてもいいと
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自分自身を欺き続けるのです
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内側の世界がまず革命を起こす必要のあるところなのです
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内側で生命が好循環しているのを直接感じて
初めて 外の世界が道と
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調和するようになるのです
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その時まで 私たちのすることは マインドに
よって既につくられた混乱を悪化させます
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戦争と平和は果てない舞い踊りの中で一緒に
起こります 二者は一つの連続体なのです
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半分はもう一方が無ければ存在できないのです
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光は闇がなければ存在できないように
上は下がなければ存在できないように
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この世は闇のない光を望み
空を抜きにして満杯を望み
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悲しみを抜きにして喜びを
欲しがっているように見えます
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マインドが関わりあえば あうほど
この世は分裂していきます
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利己的なマインドから来る解決策はどれも
問題が存在するという考えに駆られており
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その解決策は 解決しようとしていた
問題よりもさらに大きな問題に発展します
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あなたが抵抗するものは 引き続き存在します
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人類の創意工夫は新しい抗生物質を作りますが
大自然はさらに巧妙になり
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バクテリアは一段と強くなります
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引き続く戦いで最善の努力を払うも
実際 がんはさらに広まるばかり
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世界中で飢える人は確実に増えてゆき
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テロの攻撃は世界中で増加の一途です
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私たちのアプローチは
何が間違っているのでしょう?
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ゲーテの詩『魔法使いの弟子』のように
私たちは偉大な力を手にしましたが
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その力を使いこなす知恵を
持ち合わせていません
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問題は 使っている道具を
私たちは理解していないのです
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人のマインドと その適切な役割や目的を
理解していないのです
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私たちが考え、感じ、人生を経験する
その限られ、条件づけられた処し方から
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危機が生まれます
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合理主義が
数ある古代文化の英知を認め経験する能力を
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私たちから奪ってしまったのです
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利己的な考えが 生命の深遠な神聖さや
生命の輝きを感じる能力や
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全く異なるレベルの意識を悟る能力を
奪い去ってしまい
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今では人類はその能力を
殆ど失ってしまいました
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古代エジプトの伝承では 神々に原型があり
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その性質は 心身を清め
さらに高い意識を宿すにふさわしくした
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人々によって象徴することができました
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もともとの神は智慧の聖なる本質であり
トートあるいはテフティとして知られ
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よく鳥の頭をした書記
あるいはトキとして描かれ
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全ての知識と智慧の根源を表しています
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トートは思考の宇宙における本質として
描かれることもありました
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トートは原語、概念、筆記、数学
そして全ての美術やマインドの表すものを
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人に授けたのです
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特別な訓練を受けた者だけが
トートの聖なる知識を受けることを許されました
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トートの書は手でさわれる本ではなく
アカシックまたはこの世を越えた領域の
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智慧なのです
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伝説によれば
ト-トの知識は一人一人の人間の
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奥深い秘密の場所に隠され
金色の蛇により守られていました
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蛇や竜が宝を守るという
よくある伝説あるいは原型は
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多くの文化に広がり
クンダリーニ・シャクティ、気、聖霊
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内なるエネルギーなどの名で呼ばれています
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金色の蛇はエゴの概念であり
内なるエネルギーに束縛され
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それを治め克服するまで 魂は
真実の智慧を得ることができません
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トートの書は読んだ人に
苦しみだけをもたらしたと言われています
-
神々の秘密を発見し
星々の中に隠されたことをすべて
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知るにも関わらず です
-
理解しないといけないのは この書が
読んだ人すべてに苦しみをもたらしたこと
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いかなるエゴも
コントロールしようとして苦しんだのです
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エジプトの伝承では 目覚めた意識は
オシリスに象徴されています
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目覚めた意識なくしては
限られた自己の得た理解や知識は危険で
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さらに高尚な智慧とは 切り離されています
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ホルスの目は開かれねばなりませんでした
-
ここで見つける深遠な意味は
聞き慣れたエデンの園における「堕落」と
-
似ています
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トートの書は アダムとイブが
食べるように誘惑された実である
-
善悪の知識の書と並行しています
-
人類はもちろん 既に禁断の実を食べ
トートの書を既に開き
-
エデンの園から追放されました
-
蛇は 小宇宙から大宇宙まで広がる
原初からの悪循環を
-
象徴しています
-
今日 蛇はあなたとして生きています
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それは 利己的なマインドが
目に見える世界に表現されたものなのです
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私たちはかつてなかったほどの
知識にアクセスできます
-
神の粒子と呼ばれるものさえ発見するほど
物質の世界に深入りしていますが
-
これほど限られ 自分が誰なのか
どのように生きるべきか無知だったことはなく
-
苦しみをつくりだすメカニズムを
理解していません
-
私たちの思考が
現在の世界を創り出したのです
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何かに良い悪いとレッテルを張る時
あるいはマインドの中でえこひいきをする時
-
いつも私たちは利己的な構造
つまり私欲の中に入っていくのです
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解決策は 平和のための戦いでも
自然の克服でもなく
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真理を認めることーエゴの構造そのものが
二元性を作り 自己と他人の間に亀裂を生み
-
自分のものと他人のもの、人と自然
内側と外側を分けてしまうのです
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エゴは暴力です―自己の存在のために
バリヤや他人との境界を要求します
-
エゴが無ければ
何に対しても戦争はありません
-
野心もなく
利益を出そうとする過剰な性質もありません
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世界にあるこういう外面的な危機は
内側の深刻な危機を反映していますー
-
私たちは自分が誰か知らないのです
-
利己的な自分で完全に識別され
怖れにとりつかれ
-
自己の本質から
切り離されているのです
-
人種、宗教、国籍、支持政党
どんなグループに属そうと
-
全て利己的なアイデンティティーを
増強します
-
地球上に今日 存在する ほぼどのグループも
自分達の視点が正しいと主張したがります
-
それは個人のレベルでも同じです
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自分が正しいと主張することで
グループはその存在を継続させていきます
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ちょうど エゴつまり自己構造が
他人と切り離して自己を規定するように
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今や かつてなかったほど 異なる現実と
両極化した考え方が
-
地上に両立しています
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異なる人が 全く同じ外部現象に
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全く違った考えや感情的な反応を
経験することはあり得ます
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同じように 輪廻と涅槃、天国と地獄は
2つの異なる次元が
-
まったく同じ世界に存在しているのです
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ある人にこの世の終わりと映る出来事が
他の人には祝福に見えることがあります
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明らかなのは 外部の状況が
あなたの内なる世界に
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特に影響を与える必要はないということです
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サマーディを悟るとは 自分で動く歯車になること
自立すること
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自分自身の宇宙となることです
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あなたの人生体験は
移り変わる現象に左右されません
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メタトロン・キューブに例えることができます
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メタトロンはさまざまな古代キリスト教
回教、ユダヤ人の文書に登場し
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その原型はエジプト人の神トートやギリシャの
ヘルメス・トリスメギストスと関連します
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メタトロンは究極的には
テトラグラマトンにつながります
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テトラグラマトンは根本的な幾何学模様で
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物質的な現実の基本原理の表れ あるいは定型
とも言え 神の言葉あるいはロゴスと呼びます
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ここではその形が平面的に見られますが
ある見方をすると
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立方体が見えます
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キューブを見ると 形そのものは
変わりませんが あなたのマインドは
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視覚に
新しい次元を付け足しました
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次元 つまり人の視点は
単に新しい角度から世界を認識することに
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慣れるだけの問題です
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サマーディを悟ると 私たちは視点から解放されます
というより新しい視点を自由に創れます
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特定の観点につながれたり
自己の利益がからんだりしませんから
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人類の歴史上 英知ある人々は よく
限られた自己構造を越えた思考レベルを
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指し示しました
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アインシュタインは言いました
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「人間の真の価値は主に
自己からの解放の度合いによって決まる」
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ですから思考や自己の存在が悪いのではなく
マインドが心に仕えている時は
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マインドは素晴らしい道具になります
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ヴェーダーンタ学派によれば マインドは良い僕になるが 愚かな主人になると言います
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エゴはとめどなく言葉やレッテルによって
現実をフィルターにかけ 常に裁き
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一方を他方よりひいきします
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マインドや感覚があなたの主人なら
果てしない苦しみ、渇望、回避を生み
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思考の鋳型に私たちをつなぎます
-
サマーディを悟りたいなら
自分の考えを良いとか悪いとか裁かず
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考える前に 感じる前に
あなたが誰なのかを発見しましょう
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レッテルをを全て放棄したら
物事があるがままに見えてきます
-
子供が鳥とは何か教えられたとたん
言われたことを信じるなら
-
子供は鳥を二度と見ません
-
自分の考えを見るだけです
-
殆どの人は自分を自由だ
意識があり 目覚めていると思っています
-
既に目覚めていると信じるなら
なぜ 既に持っているものを得るために
-
難しい修行をするのでしょう?
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目覚めが可能になる前に
自分は眠っていると認め
-
鋳型にはまって生いきていると
認める必要があります
-
自分に偽らず
正直に自分の人生を検討しましょう
-
機械的な人生の反復パターンを
もし止めたいなら 止められますか?
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快楽の追及や苦痛の回避を止められますか?
ある種の食物や行動やひまつぶしに
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病みつきになっていますか?
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常に自分や他人を裁き 責め
批判していますか?
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あなたのマインドは飽くことなく刺激を
求めますか? それともただ沈黙の中で
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完全に満足していますか?
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他人があなたをどう思うかに反応しますか?
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人に認められよう
よく評価されようとしますか?
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自分の人生を妨害するような状況を
つくりますか?
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殆どの人は今日の人生を 明日も
1年後も10年後も
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同じように経験します
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ロボットのような性質を観察し始めると
さらに目が覚めます
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問題の深層を悟り始めます
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あなたは完全に眠っており
夢の中をさまよっています
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プラトンの洞窟にいた住人のように
この真実を聞くほとんどの人は
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生活を変えることができず 変える気も
ありません 慣れたパターンがいいからです
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自分のパターンを正当化するのに躍起になり
真実に直面するより
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頭を砂の中に埋めて隠します
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救い主を欲しがりますが
自分で十字架にかかる気はありません
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自由になるために
どんな代価を払う意思があるでしょう?
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内なる世界を変えれば 外側の生活を変える
心づもりが必要だと気づいてください
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あなたの古い構造と古いアイデンティティーは
死んで土にならないと
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新しい成長はありません
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目覚めの第一歩は
私たちが人間のマインドの鋳型により
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あの仮面により 識別されていると
悟ることです
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私たちの内なる何かが この真実を聞き
眠りから起きないといけません
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あなたの一部には 永遠の何かがあり
真実をいつも知っていました
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型にはまったマインドは私たちの注意をそらし
娯楽に興じさせ 果てしなく行動し消費し
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渇望・回避の周期の中で何かを掴もうとさせ
私達を常に変化させ 意識の開花から遠ざけ
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生まれもって進化する権利つまりサマーディから遠ざけようとします
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病的な考えが普通の生活として通っています
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あなたの神聖な本質は 限られた自己構造の
奴隷にされ 限られたものと認められています
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偉大な智慧 あなたが誰なのかという真実は
あなたの奥深く埋もれています
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J. クリシュナムルティ曰く 「非常に病的な社会にうまく適合しているのは
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人の健康の尺度にはならない」
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利己的なマインドが自分にあるなら
それは病気であり サマーディが癒しなのです
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歴史を通じて 聖徒、賢者、目覚めた人々は
全て忘我の智慧を学んでいます
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真実の自己を悟ることは可能でしょうか?
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マーヤーのベールのすき間から覗いて
幻影の自己を手放す時 何が残るでしょう?