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シンプルな喜びと
執着のない観察の力
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2025年2月18日
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[質問者] グルジ、感謝を申し上げたいです。
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あの…
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そうですね。
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私は祝福されていると感じます。
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[ムージ] はい。
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[質問者] はい。それは…
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[質問者] まるで、内側で何かが...
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「変化した」と言うのが
正しい言葉か分かりませんが、
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何かが...内側で起こっています。
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[ムージ] 何かが起こっている?いいですね。
[質問者] はい。
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[質問者] そうです。そして…
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時には、つらい瞬間もありますが、
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何かが見ることができている。全体の…
[友人に言葉を確認する]
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[友人] 情景。
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[質問者] 自我が苦しんでいる情景、
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楽しんでいる情景も。
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[ムージ] 目撃者は...
目撃者というのは、つまり
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気がついている者、
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気がついているが、
巻き込まれてない者を意味します。
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[ムージ] それが目撃者ですね。
[質問者] はい。
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[ムージ] ですので、裁判所では
「次の証人どうぞ」と呼びます。
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「次の証人はいますか?」と。
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次の証人が来ると、裁判所の訴訟では、
以前にも話しましたが、
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例えば、誰かが歩いていて、
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信号の所にやって来ました。
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誰かが信号を無視して
そこで車にぶつかりました。
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車から人が出てきて、けんかが始まりました。
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一人の男性がやって来て、この人を殴りました。
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この人の犬が出てきて、
その男に嚙みつきました。それから…
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これがすべて裁判になると、
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「誰か目撃者はいますか?」と尋ねられます。
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そして一人目の証人が来ます。
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「あなたはどこにいたか、教えてください。」
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「我々は信号のそばに立っていました、裁判官。
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すると赤い車が来て、
青い車にぶつかりました。
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この男性がやって来て、
この女性を殴りました。」
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「それから何が起こりましたか?」
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「それから、犬が車から出てきました。」
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「犬は車の中につながれていたのですか?」
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「いいえ、女性が車のドアを開けて
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犬が出てきました。そして男性を嚙んだのです。」
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「分かりました。それから?」
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「ええ、私は最初は
1対1だと思っていたのですが、
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犬が出てきたので大変だと思いました。
なので、出て行って犬を捕まえたんです。」
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裁判官は
「あなたはもう目撃者ではありません」と言います。
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「犯罪現場に加わったからです。」
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「2番目の証人どうぞ!」...
「あなたはどこに立っていましたか?」
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「私は、道路の反対側に立っていました。
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この男性がやって来て、
何か言っているのを聞きました。」
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「それから何が起こりましたか?」
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「それから、この男性が仲裁しているのが見えました。
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私は『さあ、彼らにかまうな。
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君には関係ないことだ』と言ったんです。
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彼が「君は誰なんだ?」と言ったので、
「私もただ見ているだけだよ」と言った。
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すると、彼は私の顔を殴り、
私は彼の股を蹴り上げたんです。」
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「あなたは目撃者ではありませんね。
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あなたも犯罪現場に加わっている。」
では誰が目撃者なのでしょうか。
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もしそのように巻き込まれてしまえば、
あなたは本当の目撃者にはなれない。
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というのも、
巻き込まれた瞬間、証言が危うくなるからです。
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「マインドの中で何かが起こり、
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私はそれを自分の内側で見ているようだった。
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そして、怒りが湧いてきた。
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私はこれも全部見ていた。」と言うのでない限り。
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どの裁判所が、そのようなことを受け入れるでしょうか?
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この体が巻き込まれていたのであれば。
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「この体が、この人物を殴って、
犬を抱えたりしました。
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でも私の内側は、極めて冷静でした。」
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誰がこれを受け入れるでしょう?
[笑]
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誰も受け入れないでしょう。
[笑]
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私たちの例では、どうでしょうか。
そのような目撃者が受け入れられるでしょうか?
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このような顔をしている人がいます。
[笑]
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ここで言う「目撃」とは、
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湧いてくる感情を見ることであり、
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マインドの中で作られる
シナリオを見ることです。
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判断が起こるのを感じるでしょう。
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でも、あなたはそれらから
注意を離すのです。
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強く感情移入してしまうシナリオが見えても、
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あなたはそのエネルギーに入り込まない。
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距離を保って、
思い出し続けなければならない。
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「私は、観察者として
ただ存在している。
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この観察の中で、
私に起こることは何もない。
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なぜなら私は関与していないからだ」と。
分かりますか?
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巻き込まれなければ、
実際、その情景は続かない。
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なぜなら、情景には普通、
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「あなた」の関与が必要だからです。
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ですがあなたが注意を
内側の自己の意識へと保っていれば、
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目撃は、状況に対してではなく、
自己への気づきになる。
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それが起こります。
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まずあなたは観察している。
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するとマインドは、
次から次へと物語を紡ぎ出します。
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あなたはこの動きを感じ、
呼び戻される。「観察する!」
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「マインドから注意を離す!」
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マインドはまだ...[混乱を表わす]
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個人的な感情を含めて、
これらすべてに気がついているものは
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何でしょうか?
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「これは何?」と言ってください。
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すると、すべてがゆっくりと
なっていきます。
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これは、
観察すると常に起こることです。
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そして観察していると
さらに大きなものが浮かび上がる。
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自己への気づきが
息づき始める。
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そして自己への気づきが
息づくと
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情景はあなたを引きつける力を失う。
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なぜなら、ここには
高揚感はなく
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広々とした存在の喜びがある!
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始めは、
反射的に自我と同一視しないために
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相当な努力が必要です。
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私がお伝えしたいのは、
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あなたは関わる必要がない、ということ。
これを学んで下さい。
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自我の感覚でさえ...
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自我の感覚もそこにはなく、
あなたから切り離されている。
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ですので、真剣に自我を見て下さい。
わかりますね。
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少しずつ、そのようになっていきます。
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これは最も強力な
エクササイズです!
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なぜなら
他のサポートは必要なく、
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ただ、どちらが真のあなたかを見て、
明らかにするだけだから。
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あなたを超えた「あなた」、
「個人のあなた」の向こうにあるあなた。
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ここに何かがある。
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そしてある地点で、
あなたはそれを「自分」とさえ呼ぶことができない。
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ここにあるのは、ただ存在の感覚だけ。
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そしてそれは
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「どこから来たの?」と
尋ねるような存在ではない。
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それは「私(I)」を吸収し、
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それでいて、
ここにあるすべてを満たしていく。
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細胞のすべてが歓喜している。
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平和と静寂、喜びの空間で。
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それを愛と呼ぶこともできるでしょう。
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今この瞬間の熱は変容し、
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まるで放射されているかのようであり、
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すべてを制圧していく。
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それがあなたのパワーです。
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そしてこれを練習すればするほど、
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何かがほどけるように感じます。[長くゆっくり息を吐く]
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あなたは世界の重荷を下ろす。
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それはまるで...
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繭(まゆ)に包まれているかのようです。
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あなたは
見えない空間に包まれているかのようであり、
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静寂の繭から、
あなたは行動するようになる。
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そしてこの繭を通して
あなたは握手したり、
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「こんにちは、元気ですか?」
と話したりします。
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喧騒がどんどん遠ざかっていくかのようです。
[大きなエンジンの音]
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そしてそこには平和があり、
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真の感謝がある。
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脅かされているという
個人的な感覚は遠ざかり、
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一体感と喜びという
普遍的な感覚に置き換わります。
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すべてが一度に起こるわけではないかもしれない。
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あなたは、ただここに存在する
と感じるだけかもしれない。
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ですが
これに敬意を払えば払うほど、
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自己を尊重するほど、
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大いなる自己から
エネルギーを充電しているようになるでしょう。
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とても美しいことです。
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[質問者] 毎日祈っています。
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神がさらなる叡智と強さを与えてくださるように。
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なぜなら
グルジが話されていたように、
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何かが障害のようになっているのが
見えるからです。
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障害と、その反対の両方です。
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愛もあり...
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[質問者 友人に言葉を確認している]
友人: 望み。
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[質問者] 望み、強い衝動もある。
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両方の側面が、まだ存在しています。
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[ムージ] 自己の目覚めが起こった時でさえ
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二元性のゲームはまだ活発です。
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ですがそのトーンは異なっている。
分かりますか?
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驚くことではない。
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二元性は現れるが、トーンが異なっている。
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エゴの力が弱くなると、
それは存在の中で起こっている。
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そしてあなたは
世界を自我を通して経験していない。
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存在を通して経験する。
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そして存在は無限であり、
自我よりも寛容です。
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[質問者] ええ、エゴマインドのある自我への執着は
少なくなっています。
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そして...
ありがとう。
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[ムージ] そうです。この何とも関係性のない存在こそが
世界全体のグルであり、すべての人の中にあります。
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[質問者 2] グルジ、少し質問してもいいですか?
[ムージ] いいですよ。
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[質問者 2] ...この中で
遊びが存在する可能性はありますか?
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[ムージ] どうぞ。
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[質問者 2] このシステムの中で
遊びが存在する可能性はありますか?
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一本のネジと軸だけで、
アイデンティティが固定されていて、
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一つだけ保持されていて、
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[質問者 2] それを引き抜くと
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[質問者 2] ただ消えてしまうというような...
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[ムージ] 引き抜く、というのは
自我そのものが現象的である、と観察することです。
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なぜなら私たちは、存在そのもの、
大いなる自己そのものであり、
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「私はこの体である」という信念を
表現しているのだから。
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「私は女性です」「私は男性です」
「この年齢である」など。
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この体の性質のすべてを取り上げ、
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それらが自らの性質であると主張している。
それが存在なのです。
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そうするために、
自我のアイデンティティを持ちます。
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自我のアイデンティティを持つと、
それは間違いなく「型」になります。
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多くの中の一つになってしまう。
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存在に戻ると、
お伝えしているように
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普遍的な意識になります。
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[質問者 2] 一つの信念、一つのエゴの信念のようなものが
存在するのでしょうか…
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[ムージ] 信念とは「私はこれである」というものです。
「私はこの人物である」という信念です。
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「私はこのシステムである。
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私はここで生まれた。
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この年齢です。」
これが信念です。
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同じ体がベースとなっているものとして、
それらを一つであると言うことはできます。
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「私はこれである。」
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その思考だけで
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生涯にわたって
様々な経験と葛藤を生み出すのです。
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[質問者 2] ですからグルジは
「信じますか?」と言ったわけですね。
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[ムージ] そうです。信じている限り
私たちは信じているから。
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信念は、自我の原動力となる
ガソリンなのです。
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そのように続いていきます。
そしてただ簡単に落ちるものではない。
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めったにない。
ただ消えてしまうことも、時にはあります。
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時に、ただ見続けているだけで
その力が失われることがあります。
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どれほど時間がかかるかというと、
すぐに失われます。
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存在の本来の方向性は
進化することであり、
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進化とは、エゴの解消を意味します。
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ですがあなたが戻る場所に、
決してショックを受けることはないでしょう。
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常に喜びです。
戻った時、あなたはまだここにいることが分かります!
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ですが自我の重荷は
負っていない。
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いくつかの特徴は続くかもしれないが、
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徐々にそれらも
ただ消えていくでしょう。
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[質問者 2] グルジ、たくさんのものが
ただ自然と溶けていくのが分かります。
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ただ…
たくさん溶けていっています。
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[質問者 2] そしてあなたの恩寵によって...
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[ムージ] あまり注意を向け過ぎないように。
というのも、複雑になるから。
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あなたは考えている。「5、4、3、2、7!
...7?」
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6、5...15?」
[笑]
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あまり気にし過ぎないことです。
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それが何であっても、
観察することができる。
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そして観察することができると、
それらは数字ではない。
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いかなる形も与えないでください。
形を与えないで。
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形を与えると
それは実体になる。
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大いなる自己は、実体ではない。
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純粋な意識であり、純粋な気づきです。
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無限です。
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人間の意識表現が
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これに目覚めるのは、まれなことです。
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ですが、私たちそれぞれが
その存在なのです!
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そしてこのために、私たちはここにいる。
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少なくとも、私からすると、
私たちはこのためにここにいる!
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ですが…
エゴマインドが簡単に諦めて、
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「OK、あなたはそこに行くんだね。
いいですよ、私は離れます。」とは言わない。
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そのままにしておいてください。
どんなに長くてもかまわない。
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「あー、何百年も放置されていたんだね…」
そんなことは問題ではない。
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それは問題ではない。
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オーム
ありがとう、ありがとう。
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この宇宙の神は、
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その振動、その直感、
「I Am(存在)」として
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私たちそれぞれのハートの中で輝いている。
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それが具現化された
自己であることを知ってください。
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そしてこの具現化された自己は
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パラブラフマン、至高の存在から
生まれている。
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[ムージ] アーメン。
[グループ] アーメン
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[沈黙]
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