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ご著書を読ませていただいています
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タイトルがはっきりしませんが、ベリガン神父との対話が収録されたものです。
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(神父とともに、数日間瞑想をされていたときに)先生がおっしゃった、次のような言葉に行き当たりました。
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「平和と仏教のどちらかを選ばなければならないとしたら、平和を選ぶ」
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それを聞いて、私の考えは変わりました
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宗教的な指導者がそのようなことを言うのは、一度も聞いたことがありませんでした
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素晴らしいし力強い言葉だと思いました
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この言葉の意味を、もう少し具体的に説明してくださいませんか
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それはシンプルで簡単です
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なぜなら、もし平和を求めず、平和に反対するならば、それは仏教ではありません
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平和が仏教です
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仏教は平和を内包しています
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もし、あるものを仏教と呼んでいるのに、その中に平和がないなら、それは仏教ではありません
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この洞察があれば、日々の恐れや戸惑いに違いをもたらすことができます
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というのは、あなたは、仏教と平和が別もので、
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どちらか一方を選ばなければならないと思っているかもしれませんが、
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しかし、仏教と平和が一つだと分かれば、そのように答えることはとても簡単なのです
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私が思うには、キリスト教のルーツも平和です
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それなのに、教会の指導者たちやポープは・・・
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というよりむしろ、私自身がキリスト教徒として、
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教会が、言語の一部に暴力を容認しているように見えるのです
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それはキリストのメッセージに反しています
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兄弟姉妹を愛して、貧しい人たちへの責務を負うというメッセージです
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キリスト教も同様に、キリスト教か平和かどちらか一方を選ぶ必要はないと思うのですが、
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しかし、友の多くは、場合によっては暴力的になってもいいんだと思っています