化学業界に挑んだ科学者 / マーク・ライトル
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0:07 - 0:091958年にレイチェル・カーソンは
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0:09 - 0:13鳴鳥が突然木の枝から落ちているという
手紙を受け取りました -
0:13 - 0:18鳥の死は 近くの湿地に駆除業者がまいた
DDTという農薬のせいだと -
0:18 - 0:20手紙の主は言っていました
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0:20 - 0:24この手紙でカーソンは
DDTについて調査し始めました -
0:24 - 0:28科学者や自然保護活動家が
懸念しているのは耳にしていました -
0:28 - 0:34過剰な農薬の使用は
魚や鳥や人間にまで危険を及ぼすのだと -
0:34 - 0:37漁業局勤務で知り合った
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0:37 - 0:40政府関係者に聞き取りを始め
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0:40 - 0:46「春の声を沈黙させたものは何なのでしょう?」
と問いました -
0:46 - 0:511962年にカーソンは結果を
著書『沈黙の春』にまとめ -
0:51 - 0:56化学物質の乱用が
自然や人の健康に及ぼす害について論じました -
0:56 - 1:01『沈黙の春』はすぐに賞賛と
強い異議の両方を受け -
1:01 - 1:04著者に対する悪意ある
個人攻撃もありました -
1:04 - 1:10この生物学者で作家の温厚な人物がどうして
そんな物議を醸すことになったのでしょう? -
1:10 - 1:14カーソンはそのキャリアを
勤勉な大学院生として始め -
1:14 - 1:16ジョンズ・ホプキンス大学での
生物学研究と -
1:16 - 1:19パート仕事のバランスを
取っていました -
1:19 - 1:22しかし病気の父や
妹の面倒を見るため -
1:22 - 1:25博士号を取る前に
大学を去らねばなりませんでした -
1:25 - 1:27カーソンは漁業局で
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1:27 - 1:32海洋生物学のラジオ番組の作家としての
パート仕事に就きます -
1:32 - 1:37一般の人の関心を引き付ける文章を書ける
彼女の能力に上司は感心し -
1:37 - 1:391936年にカーソンは
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1:39 - 1:43漁業局が正式採用した
2人目の女性になりました -
1:43 - 1:481941年には 海に関する3冊の著書の
1冊目を書いています -
1:48 - 1:52水の中の世界についての
科学と抒情的瞑想が合わさった -
1:52 - 1:57この海を探る話は
広い範囲の読者の心に響くものでした -
1:57 - 1:59『沈黙の春』で カーソンは
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1:59 - 2:04人間の活動がどのように自然界のバランスを
脅かしているかに関心を向けます -
2:04 - 2:09DDTは元々第二次世界大戦中に
作物への虫害を防ぎ -
2:09 - 2:13虫が媒介する病気から兵士を守るため
使われていました -
2:13 - 2:17戦後 害虫駆除のため
たびたび広範囲に散布されていましたが -
2:17 - 2:20予期せぬ結果になる
ことがありました -
2:20 - 2:23米国南部でヒアリを
根絶しようと使われたときには -
2:23 - 2:29野生動物を無差別に殺しながら
ヒアリにはあまり効果がありませんでした -
2:29 - 2:32このようなまずい事例にもかかわらず
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2:32 - 2:37農務省や化学会社は
DDTの効果をたたえていて -
2:37 - 2:41ほとんど規制がなく その潜在的な危険について
一般に知られていませんでした -
2:41 - 2:43それに対しカーソンが示したのは
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2:43 - 2:47化学物質の乱用は
耐性を持つ種の進化に繋がり -
2:47 - 2:52それがさらに殺傷力の強い化学物質の
開発に繋がるということでした -
2:52 - 2:54またDDTは水に溶けないため
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2:54 - 2:59環境の中で濃縮されていくと
彼女は主張しました -
2:59 - 3:03昆虫の体内や
その昆虫を食べる動物の組織を経て -
3:03 - 3:05最終的には人間にも及ぶのだと
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3:05 - 3:10そしてDDTに晒されることで
遺伝子構造が変異し -
3:10 - 3:14将来の世代に予期できない影響が
生じる可能性を示唆しました -
3:14 - 3:17『沈黙の春』への反応は
爆発的なもので -
3:17 - 3:21多くの人にとってこの本は
破滅的な害を生じうる物質への -
3:21 - 3:23規制を求める声でしたが
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3:23 - 3:27その一方で 人の健康に対する
害虫の脅威を抑える -
3:27 - 3:31DDTの役割に触れていないと
反論する人々もいました -
3:31 - 3:34元農務長官のエズラ・タフト・ベンソンは
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3:34 - 3:41「子供のいないオールドミスが
なんで遺伝なんか気に掛けるのか」と問い -
3:41 - 3:45カーソンを「どうせ共産主義者」だと
唾棄しました -
3:45 - 3:50農薬会社の弁護士は
カーソンやその支持者が -
3:50 - 3:56企業を非倫理的に見せようとする
「邪悪な勢力」だとしました -
3:56 - 3:59実際にはカーソンが化学物質の
危険性に注目したのは -
3:59 - 4:04利点についてはよく宣伝されている一方で
危険性について広く知られていなかったからです -
4:04 - 4:07人間は自然をコントロールすることが
可能であり そうすべきであるという -
4:07 - 4:09広く行きわたった考えを否定し
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4:09 - 4:13「自然ではなく人間たることを
ものにし成熟すること」を -
4:13 - 4:17彼女は人々に求めました
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4:17 - 4:201964年にカーソンは
がんで亡くなります -
4:20 - 4:24『沈黙の春』出版の
ほんの2年後でした -
4:24 - 4:29彼女の作品はまるまる一世代の
環境活動家たちを力づけました -
4:29 - 4:321969年に環境活動家の声によって
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4:32 - 4:36議会は「国家環境政策法」を可決し
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4:36 - 4:42政府機関に対し その活動の環境への影響を
評価することを義務付け -
4:42 - 4:43この法律を強制するため
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4:43 - 4:47ニクソン大統領は
環境保護庁を作ったのです -
4:47 - 4:541972年に環境保護庁は
DDTの使用を部分的に禁止しました -
4:54 - 4:56死後長くたっても
レイチェル・カーソンは -
4:56 - 5:01その著書の影響を通じ
自然保護を訴え続けているのです
- Title:
- 化学業界に挑んだ科学者 / マーク・ライトル
- Speaker:
- マーク・ライトル
- Description:
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1958年に殺虫剤のDDTによって鳴鳥が死んでいるという手紙を受け取ったレイチェル・カーソンは、化学物質の乱用とその自然への影響について調べ始めました。その結果をまとめて1962年出版された『沈黙の春』は、すぐに賞賛と激しい攻撃の両方を受けることになりました。ひとりの生物学者の作家がどうしてそんな物議を醸すことになったのでしょう? マーク・ライトルが探ります。
講師 マーク・ライトル
監督 エロイーズ・ドーサン・ラチェットこのビデオの教材 https://ed.ted.com/lessons/how-one-scientist-took-on-the-chemical-industry-mark-lytle
- Video Language:
- English
- Team:
closed TED
- Project:
- TED-Ed
- Duration:
- 05:03
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Yasushi Aoki approved Japanese subtitles for How one scientist took on the chemical industry | |
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Tomoyuki Suzuki accepted Japanese subtitles for How one scientist took on the chemical industry | |
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Tomoyuki Suzuki declined Japanese subtitles for How one scientist took on the chemical industry | |
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